蕎麦恋し

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 母の故郷に行った時に、母の実家の隣の方が、私を、食事に連れ出してくれたのです。この方は、予科練帰りで、戦後、父を頼って、山奥の旧軍の軍需工場で使っていた索道で、木材業を始めた父の所に来た方でした。『準ちゃん!』と呼んでくれ、私も『シゲちゃん!』と慕ったのです。街から山奥の家までの山道を、泣きながら負ぶってくれた方でした。

 このシゲちゃんが、何を食べさせてくれるのかと思いましたら、出雲名物の「割子蕎麦」でした。三つの器に盛られた蕎麦を、「あご(飛魚)」で作った出汁の味付けをした蕎麦つゆに、薬味(青海苔やすった大根やにんじんや削り節など)で食べるのです。

 元は、信州の松本藩の城主であった松平公が国替えで、松江藩の城主になった時に、信州から蕎麦職人を連れて来たのだそうです。それほどの蕎麦通だったわけで、奥出雲などの地で蕎麦の栽培を奨励し、そこで収穫された蕎麦粉で、蕎麦が食べられ始めたのだそうです。

 宍道湖で獲れるシジミの味噌汁を、これに添えたら、まさに「出雲味覚逸品」でしょうか。母の養母の故郷は、現在の雲南市(旧大東村)で、一度だけ訪ねたことがあります。「五右衛門風呂」に入れてもらって、まさに大鉄鍋の湯に、すのこに乗って入浴したのです。薪でわかしたお湯でしたので、薪の匂い、燃える火の匂い、いい気分だったのを思い出します。

 長く過ごした県の山深い地に、キャンプ施設があって、そきが学校の林間学校やキャンプで利用しているのを聞いて、教会学校のキャンプで利用させていただいたことがありました。そこも〈落人伝説〉のある地で、平家の末裔だと、村の人が言っていました。今でこそ、林道が整備され、県道となっているので、車が利用できますが、かつては、他と交流のない、自給自足の社会だったのでしょう。

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 そこで、村のご婦人たちが蕎麦を打ってくださって、ご当地蕎麦を食べさせてもらったのです。出雲の割子に匹敵するように美味しかったのです。蕎麦のお話のついでで、昨年の秋にも、〈出流蕎麦〉を食べに、ここの自治会のみなさんに誘われて行ってきました。新蕎麦ということで、それを聞いただけで、もう美味しかったのです。

 その店主が、福島県下の尾瀬のパンフレットをくださって、『ぜひ訪ねてみてください!』と誘われたのです。写真がご趣味で、店内に掲出されていて、撮られた写真を、個人的に説明してくださったのです。檜枝岐村で、民宿も結構あって、観光村のようです。そこも、平家の落人部落だと言っておられ、蕎麦の名所なのだそうです。

 暖かくなったら出掛けてみたいものです。蕎麦が食べたくなるのは、歳のせいでしょうか。山奥の生活が懐かしいからでしょうか。

(出雲の割子蕎麦と檜枝岐村の春風景です)

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