失われた物と者

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 『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。(伝道31468節)』

 室町mystery “  の原因が、やっと解明されました。わが家の台所には、三本の「包丁」があったのです。この2年ほど前から、一本、一本と、二本の包丁が、次々に消えてしまってしまいました。一本が残っていましたので、『いつか出てくるからいいか!』でいたのです。

 考えられるのは、週二回、生ゴミ(可燃物)を出すのですが、そのゴミに紛れて、収集センターに行ってしまったのかも知れとも思っていました。おっちょこちょいの私でも、それでも包丁二本も出すことは考えられなかったのです。

 昨日は、長男家族がやってきたのです。来年受験で、その準備中の息抜きの孫娘も週末、両親に従って、高校生の兄と一緒に、四人で訪ねてくれたのです。まさに《良薬4錠》に、バアバは大喜びで、一変に happy になってしまいました。

 外食よりも、何か作ろうと、一昨日は、バスに乗って「道の駅」に、買い出しに行き、お土産用に「にっこり(大きな地場産の美味しい梨です)」と、この時期は珍しい、スチューベンという銘柄の葡萄、新鮮な野菜を買いました。昨日は、朝一番で、行きつけのスーパーに買い物に行ったのです。

 「タコ・ライス」を作ったのです。新鮮な野菜と、肉と卵とチーズ、それに自家製のソース(玉ねぎ、洋梨、キウイフルーツ、ニンジン、コンソメ、ケチャップなど)でした。結構良くできたのです。孫娘が25日が誕生日で、私が17日で、京都の友人が送ってくれたパウンドケーキと息子たちが買ってきてくれたケーキに、ローソクを立ててお祝いしてくれたのです。

 食事の片付けを、いつもの様に、嫁御と二人の孫が、きれいにしてくれました。夕方になって訪問チームは帰って行きました。みんなを送るのは寂しいもので、〈惜別の祖父母〉でした。

 今朝、朝食の用意をしたのです。ところが包丁が見当たらなないではありませんか。〈またか〉でした。定位置管理をしていて、刃物はケースにしまう様にしているのですが、戻っていないのです。また消えてしまったのです。そう言えば、流しのシンクの下の戸袋に、包丁入れがあったのを思い出して、開けてみたら、な、なんと包丁三本が、きれいに並んでいるではありませんか。嫁御は、そこで管理し、私は、プラスチックケースで管理していたのです。扉の陰が「死角」になっていたのです。

 謎が解けて、『なーんだ!』の今朝の台所でした。探しても、探しても、習慣化してない所には、目も心も行かないわけです。発想の転換のおかげで、さらに〈習慣〉の理解の違いが分かって、一件落着で、嬉しい朝です。見つかるのに「時」がありました。

 失われ、彷徨っていた私は、二十代中程で、やっと創造主に見つけられ、神の元に立ち帰ることができました。神さまの憐れみよってでした。今は、この地で寄留者の様にして、仮住まいで生かされていますが、やがて「天の故郷」に帰ることができるのを待ち望んでおります。

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