季節が秋だからでしょうか、夜汽車、しかも蒸気機関車の汽笛の音に、極め付けの郷愁を覚えてしまうのです。父が国鉄車輌のブレーキの部品を戦後になって作る会社にいたからか、鉄路の近くに住んだことがあるからか、国鉄勤務の級友のお父さんが勤めていたからか、近所で一緒に遊んでくれた兄の同級生が、中央線の車掌をしていたからでしょうか、この幾つもの「からか」は、よその世界の出来事ではなかったのです。
都下の町の駅から新宿に出て、東京駅から、急行の「出雲(いずも)」に、母に連れられ、兄たちと弟とで乗ったのは、小学校に入って間もない頃でした。まだ福知山線や山陰線は電化してなかったので、蒸気機関車が牽引していた時代でしょう。その硬い座席で、その汽笛を聞いた記憶があるのかも知れません。
先日、通院の診察が終わってから、車で送ってくれた息子に、日光の宿泊施設の「オリーブの里」に連れて行ってもらったのです。途中、東武線の踏切の遮断機が降りて、待っていましたら、蒸気機関車が汽笛を鳴らしてやって来たのです。あんな目前を走る汽車は久し振りでした。やはり、あの音も煙も蒸気も懐かしく、昭和ノスタルジーの世界を蘇らせてくれるのです。
真岡鐵道も同じような “ SL蒸気機関車 “ を週末に走らせ、観光の目玉にしているそうです。今の子どもたちの父親の世代には、そんな復古調のブームはなかったのですが、平成が終わり令和の世になったら、『昭和が輝いていた!』と懐かしく感じられ、脚光を浴びています。いえ、観光の仕掛けで、このなんとも言えないような閉塞社会を打ち破りたい、そんな思惑があって、どこもかしこも「懐かしさ」が叫ばれています。
最近、YouTube で、「前面展望」と言う映像がアップされていて、わたらせ渓谷鉄道、東武鬼怒川線、JR只見線、野岩鉄道、会津鉄道、岡山から出雲を走る特急などが放映されています。模擬乗車ができて、振動さえも伝わってくるようですが、あたりを見回すことができませんし、途中下車も叶いませんから、架空空間にいるようで、やはり物足りません。
旅に誘う秋の風が、頬を撫ぜて吹き過ぎていきます。晩秋を迎え、雪がチラつき、氷が張り、寒風が吹いてくる季節に、向かって季節は動きつつあります。楽しく意味のある交わりがあった若い日を思い出してしまいました。お兄さんのように慕って、彼の回りに、少壮の有志たちが、いろいろな背景の二十人近く集められて、語り合った日がありました。その「兄貴」が、八十数年の馳せ場を走り抜けて、帰天されたと、一緒の時を過ごした主の器から、昨晩いただいたお電話でお聞きしました。
同世代、わたしたちよりも若いみなさんも、主からの召命に従って生き抜いた生涯を終えられ、そろそろ安息の中に帰られておられる知らせが届いています。そうですね、走馬灯にように、一コマ一コマのスライド映像のように、懐かしい場面が、まぶたの裏に映し出されてくるのです。あの兄貴の《はにかんだ笑顔》が浮かんでまいります。いっしょにオレゴンに教会視察に同行したことも、テニスの手合わせもしたりした方でした。
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