『これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。0 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル11章13~16節)』
1. 御国に住まいを 備えたまえる
主イエスの恵みを ほめよたたえよ
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん
2. 浮世のさすらい やがて終えなば
輝く常世(とこよ)の 御国に移らん
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん
3. もろとも勤しみ 励み戦かえ
栄えの主イエスに まみゆる日まで
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん
4. 目標(めあて)に向かいて 馳せ場を走り
輝く冠を 御殿(みとの)にて受けん
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん
(”Sing the Wonderous Love of Jesus”
“When we all get to Heaven”/Lyrics E.E.Hewitt 1898/MusicMrs.J.G.Wilson 1898)
「やがて」、わたしたちを迎え入れてくださる、「永生の望み」があると、クリスチャンは信じています。そこは、「さらにすぐれた」世界で、こここそ、わたしたちを迎えてくださる「ふるさと」、《永遠の故郷》なのです。
今朝一番、家内の姉が、人生の「馳せ場」を走り抜けて、『平安のうちに召された!』との知らせがありました。6人の兄弟姉妹の二番目の六つ違いの次姉です。病んで家で療養し、最近ホスピスに入院しているとの知らせを聞いていた姉です。家内には、死別は悲しいのですが、この知らせを聞いて、『また会えるわ!』と、家内は言っております。
天国への希望を持つ者たちは、その希望があるのです。八十五年の生涯を終えて、父なる神の元に帰っていったことになります。「永遠の御腕(申命記33章27節)」に抱かれて、安息の家であり、故郷であり、永遠の世界にいるのです。母を送る四人の子たちと、その孫たちの上に、主の平安を祈ります。
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