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徳川の幕末期、長岡藩の家老・河井継之助が、新政府軍との「北越戦争」で、負傷して会津に落ちて行く途中、山道をたどって只見に至りましたが、塩沢で力尽きて亡くなります。破傷風が悪化したことによります。明治維新に生きていて、国の舵取りをして欲しかった人材の一人でした。
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継之助の足跡を追うように、『秘境を行く!』と言う触れ込みの「JR只見線」が、上越線の小出と会津若松の間を運行しています。1927年に、若松駅からの鉄道が開業し、延伸しつつ営業距離、区間を増やし、1942年に小出駅から営業が開始されています。全線開通は1971年になって実現して今日に至っているのです。その鉄路を、「只見線」と呼ばれています。
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ここ栃木駅から東武日光線、鬼怒川線、野岩鉄道、会津鉄道を乗り継いで会津若松駅に行くにも、なかなか時間を要する区間で、日帰りを考えながら路線案内を見るのですが、なかなか出かけられないまま、時間が過ぎていきます。10年ほど前の2011年の洪水の被害で、鉄橋が流されたりして、区間運転、バス代行だったのが、この10月1日に、全線が開通したところです。
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沿線の会津坂下駅の近くには、「五浪記念美術館」があります。会津坂下町で生まれ、神奈川県海老名市に居を構えた、小林五浪の作品を展示しています。きっと郷土の誇りなのでしょう。芭蕉と曾良の道行を描いた絵には、言い知れない旅の浪漫、当時の日本の素朴さが描かれた、素晴らしいのではないでしょうか。
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「夢幻鉄道」とも言われるのでしょうか、nostalgie(ノスタルジー)を感じられる、日本の素敵な過去や原風景に接せられるのでしょうか、都会人の人気の鉄路なのです。ツアーを申し込もうとしましたら、ほとんどが終了していました。都会から訪れる人が多いようです。
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この沿線にある只見高校が、「センバツ二十一世紀枠」で、今年の甲子園の春に大会に出場しています。少子高齢化社会で、過疎の街で、冬季は豪雪の街から、晴れの甲子園に出場したのです。多くが私立の野球名門校の中に、ひときわ輝く「県立」の高校です。「真摯」、「明朗」、「健康」を校是とした全日制普通科、全校6学級、生徒数が90名(令和4年4月1日現在)の高校なのです。校歌は、作詞が丘灯至夫、作曲が戸塚三博によります。
一.要害山の 空青く やさしき花は 雪つばき
あこがれこめて 学び舎に 鍛えてつねに 希望あり
ああ 只見 只見高校
二.きらめく夢を 浮べつつ 文化を運ぶ 只見川
明るく清く 学び舎に 励めば心 豊かなリ
ああ 只見 只見高校
三.吹雪はいかに 荒れるとも 浅草岳は たじろがず
教えを胸に 学び舎に 仰げば未来 光あり
ああ 只見 只見高校
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栃木駅から乗り継いで会津若松駅にいき、そこから小出まで行き、浦佐駅で上越新幹線で高崎駅で降り、両毛線に乗り換えるなら、日帰りができそうですが、どうなることでしょうか。少し足を伸ばして、小旅行をしてみたい願いが、湧き上がってまいります。
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