もみじ

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作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一の「紅葉(もみじ)」は、1911年に、小学校2年生用の文部省唱歌として『尋常小学唱歌(二)』に発表されています。

秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様

渓の流に散り浮く紅葉
波にゆられて 離れて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦

きっと、東武日光線の電車に揺られて、日光に行く線路脇にも、東武鬼怒川線から会津に抜けて行く、渓谷を走る線路脇にも、ここに歌われる様な紅葉が、今頃は溢れ返っている頃でしょうか。

私が生まれて7年過ごし、仕事と子育てで34年間住んだ街から、渓谷に沿って上がって行く林道を、サクサクと落ち葉を踏んで歩いた時、枯れ草の匂いと言うか、初冬の匂いがして、何とも言えない懐かしい匂いをかいで、故郷回帰を満喫したことがありました。

夕日は見えませんでしたが、乙の字に曲がる角で、陽の光も見えたでしょうか。物悲しい季節ですが、落ち着いて、物思いにふけって、とんと縁がない芸術的な雰囲気にしたることができるのも、秋の素晴らしい趣きです。

歳をとり、孫たちも子どもから少年、そして青年へと成長していく様子を見聞きしても、自分の小学校時代のこと、〈工事中〉のことは、けっこう鮮明に記憶に残っているものです。長い板張りの廊下が続いていて、小使いのおじさんが振り鳴らす鐘の音が聞こえてきそうです。

みんな入ったことなどない校長室に、入らせてもらった私は、何とも惨めな思いで、そこに立たされた日があります。何をしてなのか、もう思い出せないのですが、担任が校長室に立たせたのですから、けっこう酷いことをした仕打ちだったのでしょう。聞きたい担任も、もう会うことができないのでしょう。

過ぎた日が眩しい様な、霞がかかってしまった様な記憶の中にも、途切れ途切れに鮮明に残されてあります。級友たちも、どんなことを思い出している晩秋なのでしょうか。

(HP “ 来夢来人 ”からです)

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