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明治の気骨と言うべきなのか、関東大震災の被災経験があるのか、私の父は、災害時に泰然自若としていたのではありませんでした。台風襲来のニュースを、ラジオで聞くと、雨戸など、まだ、どこの家にもなかった時代、窓という窓の木製の窓枠に、父の手伝いで、板を❌に打ち付させられて、備えをさせました。
地震で家が揺れると、『準、玄関を開けろ!』と言って、出口を確保させたのです。今では昔話になってしまう騒ぎでした。それだけ自然災害の怖さを、父が知っていたと言うことでしょうか。もう何十年も前に、『東京に大地震が起こり、壊滅的な被害がある!』と言う警告を聞いたことがありました。確かに、地震はいつでも起こり兼ねませんし、南に見えた富士の山だって火山爆発の可能性はあったのです。
その所為(せい)でしょうか、私の知人は上京する時に、瓦礫の道を歩けるような靴を履き、食料をリュックサックに詰めたり、野宿できるような備えをして出かけるのだそうです。そして、交通網が機能しなくなったら歩いて帰宅するそうです。私は思ったことはありますが、備えをしたことがありません。
でも、しておきたかったのは、子どもたちとの集合場所を決めておくことでした。まだ携帯電話などなかった時、大災害が起こって消息不明や連絡方法がなかったら、落ち合う場所を決めておこうと考えて、彼処でもない、此処でもないと考えたのです。橋の袂や駅の前やデパートの前などはどうかと思ったのですが、崩壊してしまう可能性があって無理だと結論したのです。
そうなんです、行きはぐれて会えない事態を恐れたからです。ところが、4人の子どもたちが、それぞれ独立した今は、5ヶ所に分かれて住んでいて、その上、娘たちは外国住まいですから、『地上では会えないかも知れないかな!?』、と思っているところです。
〈備えあれば憂いなし〉と分かっていても、水や乾パンやチョキレート、ラジオや軍手や簡易トイレや新聞紙などと思うのですが、父の様な経験がない私は、なかなか腰を上げません。チョコレートなど、しまった場所を、しっかりおぼえていて、手をつけて食べてしまうことでしょう。どこかのスーパーマーケットで、防災グッズ一式を売っていたことがありますが。
最近のニュースを聞くと、身辺で何が起こっても不思議ではないので、真剣にならなければならないのでしょう。アメリカ西海岸、ロサンゼルス近郊で、マグニチュード6.4、7.1の地震があり、余震もあって、住む家が大揺れに揺れたそうです。怖いでしょうね。
さて、備えで家内と私だけが肥え太っていたら、『あの家には食料がたくさんあるに違いない!』と、襲撃されかねないかと心配してしまいます。そんな怖い時代が来ているのでしょうか。やはり、昭和の気骨で、備えるべきでしょう!
(江戸を襲った安政のだいじしんの「浮世絵」です)
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