これでも、数学や物理の好きな理工系志望の中学生でしたので、大人になったら、建築か土木の世界で仕事をしたかったのです。ところが、いつの間にか方向転換してしまい、机の前に座ったり、黒板の前に立ったりする事務屋や教員の道に入り込んでしまいました。
旧国鉄の東海道新幹線計画や、黒部に発電のダムを建設するプロジェクトが建て上げられた時、日本中が湧いたことがありました。戦後の停滞の中から、一気に起死回生する機運が盛り上がったからです。そういった現場は男の職場で、子どもながら私の血が騒いだのを覚えています。
そういった実績を積み上げた日本の技術が、ODA(政府開発援助/Official Development Assistance)で用いられて、アジアの多くの国々に、道路や空港や港湾やダムや橋梁などの土木建設の事業を展開して来た歴史が、私たちの国にはあります。
例えば、北京空港や上海港湾などの土木建設をした実績があります。諸外国に技術援助もして来たのです。私を驚ろかせたのは、土木建築の資材などの製造技術の高さでした。例えば、今、多くの建設現場で使われている、「ハイテンションボルト(高力ボルト)」です。
これは、橋や鉄骨構造物を建設する際に、金属板や鋼材をつなぎ合わせるために、かつては溶接や、鋲(びょう)を打つリベット接合が一般的だったそうです。ところが、「高力ボルト」は、普通のボルトよりも、はるかに強い力で締め付けられるのです。さらに摩擦力によって「摩擦接合」で鉄骨をつなげられます。強い耐久性があって、引っ張りにも強いのです。団塊世代の退職で、熟練に溶接工がいなくなってしまい、それを補う「高力ボルト」の需要が求められました。
海外の製造のボルトでは太刀打ちのできない優れ物なのです。たかがネジやボルト、されどのネジやボルトを製造して来た日本の技術の高さは誇って好いのです。子どもの頃、近くに旧国鉄の〈保線区〉がありました。鉄路の保守点検作業を担当していた部署です。花形の新幹線も、地方を走る貨物列車も、こういった部署の弛まない忠実な作業があって、事故の少ない運送が行われているwのです。
遊びに行くと、作業場に入れてくれ、説明までしてくれました。キット、この子たちの将来を考えながら、『国の基幹の事業に携わる様になって欲しい!』という期待も込めて、邪魔者扱いをしないで、道具を触らせてくれたのです。よく手入れがしてあり、作業場は整理整頓されていました。
愚直と思われるほどの《プロ意識》が見られました。学校に行き、アルバイトをした様々な職種の職場には、どこにも《プロフェッショナル》がいました。自分の仕事に誇りを持ち、どうしたら作業効率を上げられるかを、日夜工夫しながら、作業をしていた、たたき上げの人たちがいたのです。あの人たちが、日本の《底力》だったのでしょう。
(黒部ダムに工事現場、ハイテンションボルト、保線作業です)
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