蔵の街

 

 

数えてみましたら、〈19〉になりました。何の数かと言いますと、結婚して所帯を持ってから〈住んだ家の数〉なのです。生まれてからですと〈25〉になります。これって多い方ではないでしょうか。

中国に行くので、長男の家を「留守宅」にし、法的な居住地にして、13年になるのですが、家内の退院と、在宅介護のために、今滞在させていただいている家に越した方が便利だ、との退院指導の看護師さんの勧めで、友人夫妻に理由をお話しして、法的な住所として転入をお許し頂いたのです。

それで昨日6時20分に家を出て、転出の手続きに出掛けてきました。帰国以来、〈南栃〉だけを生活圏にしていたのですが、渡良瀬川、利根川、荒川を渡って、東武日光線、東武伊勢崎線、JR武蔵野線、東武東上線を乗り継いで往復したのです。結構遠かったのです。そう思ったことは、以前はなかったのですが、鈍行と急行の電車に乗り継いで、2時間かかりました。

武蔵野線は、通勤と通学の時間帯でしたので、超満員で、ショルダーバックを手前にし、怪しい行動を疑われない様に、両手をその上において、じっと立っていました。これも四十数年振りのことでした。3ヶ月あまり毎日乗車してきた東武宇都宮線では、そんな経験は全くありません。

この街の市役所は、デパートの経営するスーパーの上階にあって、一階にフードコートがありましたので、昼食を、そこで摂りました。転入手続きを終え、駅前の団子店で、「みたらし団子」を二つ買って、家内の入院先に、保険証を届けたのです。何日振りでしょうか、甘い部分を取り除いた団子を〈ひと玉半〉、家内は、実に美味しそうに食べていました。

家内が、『食べたい!』と、私に注文したのです。これまで固形物は喉を通らなかったのに、何の差し障りもなく、飲み込んでいました。私と違って、自制が効いた生き方をして、生きてきた家内なので、一本全部は食べませんでした。一昨日、多くの患者さんを看護してきた、担当の看護師さんが、『◯子さんの様なケースは、極めて珍しいです!』と言っていました。

この方が、ついでに私を、『準さん!』と呼んだのです。どうして知っているのでしょうか。家内との会話で出てきて、覚えてしまったのでしょうか。みめ麗しい女性から、実名で呼ばれたのも、何十年振りになります。そうです、昨日から、《栃木県民》、《栃木市民》になりました。この街の観光キャンペーンの呼び名は《蔵の街》です。

(栃木市花の「紫陽花(あじさい)」です)

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