芝浜

 

 

裏長屋に住む棒手振り(ぼてふり/桶を天秤棒で担いで魚などを行商する商人/江戸っ子は“ぼて”と言ったそうです)魚屋の勝五郎は、腕はいいが酒好きで怠け者。

女房 「お前さん、早く起きて河岸へ行っておくれよ。もう十日も商売休んでるじゃないか」

勝五郎 「十日も休んでたんだ。盤台(ばんだい/桶のこと)しょうがあるめえ」

女房 「ちゃんと糸底へ水を張ってあるからいつでも使えるよ」、勝五郎はしぶしぶとまだ暗い中を芝浜の魚河岸に仕入れに行く。

ところが魚河岸はまだやっていない。時の鐘の鳴るのを聞きて、

勝五郎 「かかあのやつ、時刻(とき)を間違えやがった・・・」、仕方なく浜で夜明けの風景を見ながら待っていると、革の財布が落ちているのを見つける。ずっしりと重く中には金が一ぱい入っている。

勝五郎は一目散に財布を持って長屋に帰り、女房と財布の中をを数えると小判で五十両も入っている。

勝五郎 「これだけありゃあ、もう好きな酒飲んで、遊んで暮らしていけらぁ」と、朝湯に行って、友達を呼んで昼間から飲めや歌えの大騒ぎをしたあげくに酔いつぶれて寝てしまう。

翌朝、女房に起こされ河岸に行くように言われる。

勝五郎 「河岸に?冗談言うねえ、昨日の五十両があるじゃねえか」

女房 「なに寝ぼけて馬鹿なこと言ってるんだい。夢でも見たんだろう。この家のどこにそんな五十両なんて金があるんだい。しっかりしてくれなきゃ困るよ」、昨日の大散財で部屋の中はちらかり放題だ。

勝五郎 「夢?そんなこと・・・、夢にしちゃあずいぶんとはっきりした夢、・・・どうしても夢とは思えねえ・・・財布を拾ったのが夢で、友達呼んで飲み食いしたのが本当の事か・・・?」

女房 「お前さん、あたしの言うことを疑るのかい?」

勝五郎 「そうじゃねえ・・・そうか、えれえ夢見ちまったもんだ。金拾った夢なんて、われながら情けねえや。これというのも酒のせいだ。よし、もう酒はやめて商売に精出すぜ」と、すっかり反省、改心し商売に励む。もともと腕はいいので、信用もつき評判も上がり、お得意もどんどん増えて行った。

三年もしないうちに表通りへ魚屋の店を構えるほどになった。大晦日に女房と苦労話をしていると除夜の鐘が鳴り出した。

女房 「今日はお前さんに見てもらいたいものと、聞いてもらいたい話もあるんだけど・・・」と、汚い財布を勝五郎の前へ出した。

女房 「三年前にお前さんが芝の浜で拾った財布だよ。夢なんかじゃなかったんだよ・・・」

勝五郎 「・・・なんだと、こん畜生め!」

女房 「ちょっと聞いておくれ。あの時、お前さんがこの五十両で遊んで暮らすって言うから心配になって、お前が酔いつぶれて寝ている間に大家さんに相談に行ったんだよ。”拾った金なんぞを猫糞したら手が後ろ回ってしまう。おれがお上に届けてやるから、全部、夢のことにしてしまえ”と言われて、お前さんに嘘ついて夢だ、夢だと押し付けてしまったんだよ。自分の女房にずっと嘘をつかれて、さぞ腹が立つだろう。どうかぶつなり、蹴るなり思う存分にやっとくれ」

勝五郎 「おうおう、待ってくれ・・・おれがこうして気楽に正月を迎えることができるのは、みんなお前のお蔭じゃねえか。おらぁ、改めて礼を言うぜ。この通りだ。ありがとう」

女房 「そうかい、嬉しいじゃないか・・・久しぶりに一杯飲んでもらおうと思って用意してあるんだよ。さあ、もうお燗もついてるから・・・」

勝五郎 「えっ、ほんとか、さっきからいい匂いがすると思ってたんだ。・・・じゃあ、この湯呑みについでくれ。・・・おう、お酒どの、しばらくだなあ、・・・たまらねえやどうも・・・だが、待てよ・・・」

女房 「どうしたんだい?」

勝五郎 「よそう、また夢になるといけねえ」(「落語散歩」からのあらすじ)

「もう」でしょうか、「また」でしょうか、年の暮れの「12月」になりました。この噺(はなし)は、年末になると決まって寄席にかけられるもので、寄席噺では、最も有名なものです。古今亭志ん生が得意とし、息子の志ん朝も話していました。その他にも多くの噺家が話してきたものです。私の通った学校の近くが「芝」でしたので、時代は違いますが、ちょっと身近に感じてしまいます。

賢い女房を持った飲んだくれが、改心していく、とても道徳的な話で、いつの時代でも、若者に聞かせたい、<バカバカしくない>噺です。

(日本橋を渡って来た「ぼて」です)

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