アメリカ

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もう何十年も前に、私の恩師のレクチャーで、当時のアメリカ大統領の助言者の一人の方のコメントを聞きました。建国の精神から遠く離れてしまい、罪や悪に満ちたアメリカ合衆国が、国際的な地位や経済力を、いまだに保持でき、崩壊を免れている理由についてでした。

一つは、建国の父たちの理想や夢に繋がっている、今日の国民たちの国を思う思いです。イギリスから「メイフラワー号」にやって来た人たちの思いの中にあった、新しい国を建てようとする、建国の理想や夢や幻のことです。

二つは、この国から全世界に送り出されている、教育や文化や医療や宣教に携わる人々と、その働きを支援している経済的な犠牲の大きさです。発展途上にある国に対する、無形の知的、人的、物的援助を、自分たちの責務と感じた人たちの存在と、それを支えている人々がいることでした。

三つは、この国の中で、国の将来の健全性や祝福を願う人々がいることです。その実現のために、祝福を願う人々の思いがあることです。国籍や言語や文化を超えて、アメリカ合衆国の国家的な使命を理解する、諸外国からの期待する思いも、この国に向けられていることです。

私は、中学の時に、学校をサボって、通学の下車駅前にある、名画座によく通っていました。そこはアメリカ映画を再上映している映画館でした。近くに幾つもの大学があって、そんな大学生を対象に上映していたのです。三本立てで観ることができました。観たわりには、英語が上達しなかったのが不思議でなりません。強烈な印象を受けたのが、ジェームス・ディーンが主演した、「理由なき反抗」でした。アメリカの物質の豊かさに驚かされ、繁栄の陰での同世代の若者たちの奔放さに共鳴し、「チキンレース」という命がけのゲームなどに度肝を抜かれ、痛烈な影響を受けてしまいました。

ハリウッドの作るアメリカ文化は、上品でも有益でもなかったのですが、善きにつけ悪しきにつけ、中学生の私には強烈過ぎたのだと思います。それでもアメリカの一面を知ることができたのです。その頃、まさか後になって、アメリカ人と一緒に仕事をし、彼から学び、彼の事業を受け継ぐなどと思ってもいなかったのです。そして、やがて与えられる子どもたちに、アメリカで教育を受けさせたことも、考えたら不思議でなりません。大きな見えない手が、そのように導いたに相違ありません。

戦争に負けて、その国の占領国になりましたが、焼土と化したこと、被爆国となったことを怨んだり憎むことよりも、大きな愛を持って、戦後復興を援助してくれたこと、栄養補給に飲ませてくれた、「脱脂粉乳」に象徴される、助力に対して、感謝を忘れてはいけないのかも知れません。南北に日本が分断していたら、どうなっていたことでしょうか。それが回避されたことだって、偶然ではないからです。感謝ありき、でしょうか。

(プリマスにある「メイフラワー号2号」です)

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