心の戦場

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ユダヤ人に伝えられている物語の中に、王が部下の妻に思いを寄せて、権威を傘に着て、欲望を遂げてしまう記事が、赤裸々に記されています。事の始まりは、自分の軍隊が、敵と戦いをしていた時でした。この王は、出陣することなく、王宮に留まり、夕暮れに、その屋上を歩いていました。その時、湯浴みをしている女を見てしまうのです。

ただ見ただけではなく、じっと盗み見をして、この王の目に美くしく見えたの でしょう、欲情を膨らませた彼は、誰の妻かを調べせます。そして、ついに王宮に呼び、自分の寝室に招き入れて、思いを遂げてしまうのです。この民族の中には、結婚の枠を越えた男女の関係が、禁じられていました。その禁を、この王は破ったのです。

ところが、この女から、妊娠したという知らせを、この王に伝えます。それで、この女の夫を戦場から呼び戻すのです。その女のもとに帰させ、夫によって妊娠したことにしようと、悪計を思いつくのです。ところが王の思惑に反して、この王の部下のウリヤは、『自分の戦友たちが、戦いの最前線にいるのに、自分だけが妻と寝ることはできない!』と言って、王宮の門で夜を過ごして、妻のもとに帰ろうとしませんでした。

それで、万策尽きた王は、その女の夫を、戦いの前線に立たせ、その間に仲間は陣を引いて、戦死させることを思いつき、そう命じます。その様にして、ウリヤは、何も知らずに、敵の手で討たれて死んでしまうのです。そんな自分を抑制し、妻の下に帰ることのできない戦友を思って、戦友たちと共にあろうとしたウリヤと、情欲に負け、禁を破り、殺人まで犯す王との違いが、興味深く記されているのです。

何処の国でも、どの時代でも、『民の頂点に立つ者は、特別な緊張状況にあるのだから、側女や側室によって、夜伽(よとぎ)で慰められる必要がある!』と考えるのでしょうか、<英雄色を好む>と言う言い逃れの考えが、大手をふって一人歩きしてきています。こんな凡夫な私だって、緊張と圧力と孤独があり続けて生きて来ました。でも、してはいけない事は、この王の時代も、20世紀も21世紀のこの時代も同じです。多くの人は、それを一人の妻と、求め合って生きています。

このユダヤ人の書の中に、『若い日の妻を喜べ!』とあります。決して「若い妻」ではありません。よく誤解して、「古くなった糟糠之妻」を捨てて、「若い妻」に鞍替えをする輩がいます。どんな優れた業績や貢献を残した男でも、社会は、そんな男を、人として評価せずに、軽蔑するのです。そんな言い訳を防ぐために、《結婚制度》が定められてあるからです。

一人の妻を愛し続けた凡夫と、政治手腕に長けて、多くの事業の功績を残したが、家庭を顧みなかった英雄と、どちらが人間として優れたているのでしょうか。《一人の女だけを愛した男》と<五千人の女と寝た男>と、どちらが偉いのでしょうか。<男の誉れ>を遂げても、家では妻が泣き、娘は不実の父を見ながら育って間違った男性像を抱き、息子は父親の生き方を見倣って、それを是として同じ様に生きるなら、次の世代の家庭は、どうなってしまうのでしょうか。

誘惑は、凡夫も王も同じです。みんな《心の戦場》で戦って生きて来ているのです。これは男も女も関係ありませんで、女性も戦って生きているのです。古代、「義人」と呼ばれた人が、次の様に言い残しています。『私は自分の目と契約を結んだ。どうして乙女に目を留めよう。』とです。あの王は、見るものを間違えた様に、多くの男が見間違えて、結婚と家庭を壊してしまいました。「美しさ」は偽りです。外貌は衰えて、形を変えますが、心は日々に変えられて美しくされ、輝きを増すのです。気を付けましょう。

(オリーブの花です)

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