人恋しい秋

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やはり、人恋しくなるのでしょうか、今朝、ある方のことを思い出していました。私と二十歳違いで、同じ誕生日、同じように腕時計の文字盤を腕の内側に向けてはめるアメリカ人の実業家がいました。一緒にテニスをしたこともあり、よく彼の家に、家族ごと招いてくれた方でした。夫人の両親がパン屋でしたので、美味しいパンやクッキーを焼いて食べさせてくださいました。病気になられて、しばらく闘病をされていましたが、召されてから、もうだいぶ年月が経っております。

先日、この方の写真が、回り回って、私のメールボックスに、添付されて送られて来ました。まだ二十歳前の<美男子>、太平洋戦争に従軍されていた時のものです。北欧系の青い目で、息子さんが、お二人健在ですが、よく似ているのです。

北欧からの移民の子で、ワシントン州の出身で、私が一緒に働いた方の友人でもありました。 私の知る限り、よきアメリカの伝統を受け継ぐ、<アメリカ市民>のモデルにような人でした。<gentlemanジェントルマン>と言う英語を絵に書いたような穏やかで、堅実で、暖かな心の持ち主でした。

父には少し若く、兄には年齢差が大きかったのですが、人間的に見て、<父的な存在>だったでしょうか。『どうして、こんなに穏やかなのだろうか?』と、誰もが思っていたのです。一緒に寝泊まりをしたことはありましたが、生活の全てを見ていたわけではありませんでした。出会って来た沢山の人の中でも、特に思い出深い人です。喧嘩ぱやい短気な私にとっては、感情の抑制の効いた理想的な人だったのです。

ところが、ある時(告別式の時です)、弟さんが若い時の兄の思い出話を話したのです。それを、又聞きしたことがありました。この方が、十代を送った街では、大変有名(!?)だったそうです。それが、全く変えられたのです。戦場での体験が、彼を変えたのか、途轍もない誰かとの出会いがあったのか、私が出会った時には、ニコニコと両手を広げて迎え入れてくれる人でした。奥様は、この話は、<寝耳に水>だったそうで、彼は、自分の心の中で、過去を封印して、愛する夫人にも語らなかったのです。

変えられたお父さんの彼に、五人の子供さんがおられます。みなさんを知っていますが、彼らが、まだ子どもだった頃、家族で訪問した時に、自分たちの寝台を、私たち家族に与えて、何処かに寝場所を見付けて寝てくれ家族ぐるみで歓迎してくれた方たちでした。そんな好い経験をした私たちの子どもたちも、そんな生き方を真似て、それぞれが、今を生きているのは感謝なことです。

(写真は、”HIS”による、ワシントン州シアトルの名物の「クラムチャウダー」です)

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