こんなに綺麗な世界が

.
.

 『世界ってどうしてこんなに綺麗なんだろう。』、これは、私の言葉ではありません。有名な文学者のものでもないのです。夕陽が落ちていく中での光景を見た人の強烈な感動の言葉です。

 このところ、寒さが厳しく感じられるからでしょうか、家の南側の窓から薄暮の紅というには足りない、様々な濃度の赤や橙の色が塗り込まれている様な夕空が見えて、家内を呼びました。大平山の向こうの空を中心の西の空全体が織りなす色彩は形容し難く、綺麗なのです。

 辛く、絶望的な一日が暮れて行こうとしていたアウシュビッツの収容所で、宿舎に帰って来た一人の人が、夕日の美しさを見て、同房のみんなに告げるのです。すると、空腹や病や一日の労働で疲れ切った仲間たちが、一人一人、よろよろと外に出て、その夕空を眺めるのです。感動のあまり沈黙して、みんなが燃え上がる様な夕空を見上げていました。その沈黙の中で、一人が、感動的に静かにつぶやいた言葉が、これなのです。

.

.

 そんなことが、心理学者V・フランクルの著した「夜と霧」(みす ず晝房)の中に記されてあります。人間は、その最悪な状況下で、明日はガス室に送られるか分からない様な時でも、病んで床に伏せっていても、美への感動を、人は忘れないのです。

 中国の天津で、一年を過ごしたことがありました。その街の外国人アパートの七階のベランダから見た、沈んでいく大陸の夕陽に圧倒され、二人とも息を呑むようだったのを覚えています。真っ赤に燃える様な大きな太陽でした。

 あんなに大きく遠くにある太陽が、自転や公転、銀河系の中での移動など、さまざまな動きをしています。その周りを太陽系の星が運行しているのです。太陽が発する熱や光が、夕陽を染めるのは、誰もが感動するのですが、置かれた場所が違っても、人の感動はひとつです。

.

.

 測り切れないほどの距離の宇宙の広がりに、驚くほどの星があって、今も発見されていて、そこから今、光が届くことがあるのです。先日、『多くの流れ星が今晩は見られます!』と天気ニュースで言っていました。昨夜は、今年最後の満月の中、お隣のご夫妻と、教会コンサートに参加し、夕食を共にした帰途、冬の夜空に煌々と輝いていました。

『神は大空を造り、大空の下の水と、大空上の水とを区別された。そのようになった。 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。 (新改訳聖書 創世記1章6〜8節)』

 整然と散りばめられて、煌めく夜空も、それを眺める私も、神が計画通りに創造されたのです。しかも私たちは、神の愛顧の対象であることに気づいたのは、これも神のなせる業のひとつなのです。

(ウイキペディアの地球、我が家からの日の出、次男が撮った月です)

.