人品骨柄

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 『人品骨柄(じんぴんこつがら)卑(賎)しからず。』、人の精神も容貌も品位が高くあることが、人を評価する上で、大切なことであると言われて、このようなきとばがあるのです。よく『何をしたか?』によって、人が測られるのですが、その人の品性とか道徳性ということこそ、注目すべき点であるに違いありません。

 それは、容貌の美醜を言っているのではありません。リンカーンが、『四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て!』と言いました。大統領になった彼は、国政にあたる閣僚を決めようとしていた時のことです。閣僚候補に推挙された、一人の人がいたのですが、『顔付きが気に入らない!』と言ったのです。

 それを聞いた、その人物を推薦した人が、『顔は生来のものだから、彼の責任ではないのではないか。!』と反論します。それに、リンカーンは、『四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ!』と言ったわけです。

 顔の作りを言ったのではなく、心や考えていること、価値観や人生観が、どうも表情に投影されるのです。東京警視庁の警官をしていた人が、私の最初の職場の上司にいました。社会の治安を守る役職にある警察官は、見た瞬間の直感を養われて、出会う人の犯罪性のある無しを、瞬時にその眼差しや雰囲気から判断する能力を培うのだそうです。

 人生経験を積んで、それまでの生き様・考え方が、善きにつけ悪きにつけ、自然と生き方や表情に、如実に現れるからです。どんな家系なのか、どんな教育を受けてきたとか、どんな仕事に従事してきたか、社会への貢献度はどうなのかなどなどだけが問題視されて、道徳性を問うことがないがしろにされているのです。

 来月、一万円の新札が発行され、その肖像が、渋沢栄一なのですが、日本の資本主義制度への貢献の大きさが評価されたのだそうです。ところが、この人の道徳性、品性などが、どうだったのかなどは問わないのは、いかがなものでしょうか。日本の初代の内閣総理大臣であった伊藤博文ですが、幕末の英傑、維新政府の重鎮たちが暗殺されたり、病没したりで、人材に窮していた時に、仕方なしに選ばれたという、裏話を聞いたことがあります。

 この両者の共通点は、色好みで、人としての道徳性や品性は、劣悪だったのです。その評価基準の低さに、疑問を覚えるのは、私がへそ曲がりなのでしょうか。どうしても、こういった類の人を誇ったり、感謝することが、私にはできません。

 そのような時代に、職を追われ、赤貧の中を過ごしても、魂を卑しめたりせず、人品を卑しくするようなことのなかった内村鑑三が、「桶職」と言う一文を残しています。大正3年(1949年)に、「聖書之研究」に掲載された詩です。

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我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
其他(そのほか)の事を知らない、
政治を知らない宗教を知らない、
唯善き桶を作る事を知る。

我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
我は人の我に就いて知らんことを求めない
我は唯家にありて強き善き桶を作る。

月は満ちて又欠ける、
歳は去りて又来たる、
世は変り行くも我は変らない、
我は家に在りて善き桶を作る。

我は政治の故を以て人と争はない、
我宗教を人に強ひんと為ない、
我は唯善き桶を作りて、
独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である。

 教育などを受けずとも、ただ桶づくりしか取り柄のない一人の人が、ないことの多い中で、最善の仕事を果してきたことを誇り、買い求める人のために、より良い桶づくりに励んでいるのです。政治家や宗教家になどにはなれずとも、その一事に邁進している職業意識に、極めて高い信念や価値を感じてなりません。

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 これは、『人品賤しからざる人であれ!』との勧めですが、品性の高さこそ、人の値打ちに違いありません。そのような人として、自分の生涯を全うしたいと、切に願うのです。私たちの外孫は、教会の寮で生活をしているのですが、彼の部屋に、リンカーン大統領の肖像画が掲げられています。人品骨柄の優れた人に、彼が憧れていて、それが嬉しいジイジであります。

(ウイキペディアの「リンカーンの大統領就任式」、北斎の桶職人、リンカーンの立候補用のポスターです)

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