感謝して生きる

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 昨日は、「雷の日」だったそうです。0626の語呂合わせではなさそうですから、何か歴史的なことがあった日なのかも知れません。

 かつて、京都が火災に見舞われたことがありました。京の都は、幾たびも、火災にあったと記録が伝えています。

 『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。』の書き出しで、高校の国語で学んだ、「方丈記」があります。そこに、次のような記事があります。

 『いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。』、安元3年とは、西暦1177年ですが、この年に京都に大火があった記録されているのです。

 それ以前、醍醐天皇の統治の代に、右大臣の任にあった、菅原道真は、藤原時平との政争の中で、太宰府に左遷させられてしまいます。その左遷から2年後の延喜3年(903年)日に、道真は死んでしまうのです。時平も、 その直後に病没し、次に、道真の後に任じられた右大臣が、沼で溺死をします。

 悪いことは続くもので、延長8年(930年)6月26日に、会議中の清涼殿が、「落雷」で被害を被ります。落雷による火災も発生し、朝廷要人に多くの死傷者も多く出たのです。それを目撃した第六十代の醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に死んでしまいます。これらは、道真の怨霊が原因とされて、「天満宮」が造営され、道真は神として祀られる、そう歴史は記録しています。

 その菅原道真の名誉回復がなされ、「天神」として祀る「宮」が、京の北野の建てられたのです。天神が「雷の神」であり、道真が学問に秀でて、学問の分野で朝廷に仕えたていたこともあって、「学問の神」として、二十一世紀の受験生たちによって、合格祈願されているのです。この両神に、何の脈略もなさそうですが、そんな信仰に驚かされます。

 日本の歴史や出来事の中に、「怨念」や「恨み」や「祟(たた)り」が原因すると言う、その原因追及が気になりますが、死者が、人を呪ったり、化けて出るようなことなどないのです。

 市立図書館の入り口の壁面に、「今日は何の日」 が、掲出されていて、借りていた本の返却と、予約していた本を受け取りに出掛けて、その壁面に読んだのです。聖書は、

『これヱホバの設けたまへる日なり。われらはこの日によろこびたのしまん。(文語訳聖書 詩篇118篇24節)』

 この日も、どの日も、主が設け、お造りになられた日なのです。「日」の良し悪し、吉凶などないのです。どの日も、感謝して生きていけるように、万物の創造主によって、一日一日が祝福されているのです。

(ウイキペディアの稲妻です)

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