獅子と戯れる時がくることでしょう

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『おほかみは小羊とともにやどり、豹は小山羊とともにふし 犢 をじし、肥たる家畜ともに居てちひさき童子にみちびかれ、牝牛と熊とは、くひものを同にし、熊の子と牛の子とともにふし、獅はうしのごとく藁をくらひ。乳兒は毒蛇のほらにたはふれ 、乳ばなれの兒は、手をまむしの穴にいれん。(文語訳聖書 イザヤ書11章6-8節)』

 道を歩いていいると、若い頃には、そんな願いは全くなかったのですが、この頃は、途中で「小休止」したくなる時があります。でも、途中には、車社会だからでしょうか、ほとんど、そんな箇所がありません。散歩コースに、美味しい珈琲店があって、何度か立ち寄りました。そんな spot を見つけて、たまには休むこともあるのです。

 北は総合運動公園方面、南はこちらを流れる川の下流方面、西は カインズの店方面、東は生協ストアー方面に、その日の気分で歩き始めていきます。それでも最近は、「バス停」に、小型のベンチが置かれる箇所が出てきました。どなたかの寄進でしょうか。どうもお年寄りの病院通いが多いからなのでしょうか。

 最近凝っているのが、「ぶらんこ」なのです。おかくらたみの詩に「ぶらんこ」があります。

花びらが、「もう いいわ。」っておりて いったので、

かぜは、ひとりで のっていました。

かぜが、ぶらんこに のって いたら、

花びらが、「のせて。」ってきたので、

いっしょに のりました。

花びらが、「もう いいわ。」って

おりて いったので、

かぜは、ひとりで のっていました。

 岡村民、1901(明治34)年、長野県に生まれています。日本大学の国文科に学びますが中退し、幼稚園を経営し、童謡詩人、童話作家でもありました。まぶたに、花びらを乗せて揺らぐぶらんこの光景が浮かんできます。このところ、近所の公園と運動公園に、あおのぶらんこを見つけて、通るたびに、それをこいでいるのです。童心に返るというのでもなく、昔しっかりとこげなかったことへの老いの再挑戦なのです。

 ブランコと、それに乗せてもらっているおじいさんは、どうもmismatch で、そぐわないかも知れませんが、花びらになったように、振り子時計の気持ちになったり、高く行くようにとこぐ力が、じょじょに強くなっていくのです。

 その公園には、滑り台も鉄棒も、ジャングルジムもあるのですが、落ちて怪我を負いかねないので近づかないことにしています。時々、兄弟でしょうか、姉妹でしょうか、彼らの遊び回っているのを見て、その満足そうな顔が、郷愁を誘い、平和な時代の子どもたちの嬉々とした姿が眩しいのです。その公園には、「ベンチ」が置かれてあります。

 運動公園の中には、「東屋」もあって、小休止や雨宿りのために、時々利用するのです。ある箇所は、お爺さんたちの溜まり場のようになっていて、二つほどのベンチに、肩を寄せ合って座って、どんな話題でお喋りしているのでしょうか。時々、『仲間に入れてもらおうかな!』と思ったりたりはしますが、未挑戦の今です。

 生きてきた道を、「人生街道」と言っても良いのでしょうか。日本橋を起点に、江戸五街道には、「一里塚」が置かれ、また、宿場も設けられて、旅人のための便宜が図られていたのです。実に賢い道路管理があったようです。街道沿いには、茶店が置かれ、旅の疲れが癒されたように、「人生のベンチ」もあったらいいのではないかなと思ったりします。

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 崖崩れや、川止め、獣や盗賊の出現などの情報の交換がなされたように、人生街道にも、小休止場所がって、情報を得ているようです。そこは「息抜きの場」でもあって、これって人に必要な場所に違いありません。それだけではなく、「会話の機会」が、人には必要不可欠なことでもあります。ただし、情報氾濫の今の世では、正しい情報を聞き、答える有益な会話の場が必要なのかも知れません。

 私は、週の初めの日に、人との会話ではなく、魂の創造者、永遠のいのちの付与者である、《神さまとの会話》の素晴らしさを味わっているのです。讃美を歌い、祈り、信仰を告白します。それと共に、講壇からなされる礼拝説教を聞くこと、これこそが、不可欠の神と人との会話なのです。

 驚くような事件の頻発の世界に、熊も獅子もまむしも、幼い子供と戯れるような時が、間なくやってくるのでしょう。私たちの神は、「平和の君」でいらっしゃり、やがて平和な時の到来があることでしょう。その時は、面と面と向かって、父との会話、救い主との会話をすることでしょう。

(私の愛乗のぶらんこ、「いらすとや」のベンチです)

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