古代の音の世界

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 自分が越して来た街に、古代人の住居跡があることを知って、『どんな場所で、自分の祖となる同時代人たちがいて、どんな風に生活をし、泣いたり笑ったり、悲しんだり喜んだりしていたことだろうか?』と思いの中に湧き起こって、学校から家に帰って、ランドセルを投げ置いて走って訪ねたのです。

 そこは多摩川を見下ろせる、そう高くない高台でした。あの頃、人はまだ井戸掘りはしなかった時代でしたから、やはり水場に近い場所に住居を構えたのでしょう。魚をとったり、タニシやしじみも 野うさぎや鳥などもとって、食料にしていたことでしょうか。

 そんな古代人の生活の場や生活ぶりを想像しながら、木の枝を手にして、懸命に土を掘ったのです。土器のかけらや鏃を見つけて大喜びをしたのです。何かTime slip するような思いもしたようです。父や母、祖父母よりも遥か昔の人たちの生活に触れているようでもありました。

 意思伝達の会話があり、不和による言い争いも、愛情表現も、労りのことばもあったはずです。でも、土を掘っているだけでは、話し声を想像することも、鳥の囀りや獣の吠える声や風や雨の音、木々の葉を揺らす音さえも、想像できず、音が聞こえなかったのです。無音の世界でした。

 そんなことはあり得ません。人だって、鳴き声や笑い声や、怒鳴る声だってあったはずです。歌だって、楽器だってあったはずです。草笛や木で叩く音や貝をすり合わせる音、土器や動物に骨を、叩いて音を出して、それに合わせて歌を歌うことだってあったに違いありません。自然界には「音」があふれていたはずです

 土取利之と言われる音楽家がおいでです。打楽器が専門で、ジャズの世界で、名drummer だそうでです。その彼が、音楽の根源を探るために、アジアやアフリカの民族音楽を訪ね歩いています。そして、古代にあったであろう音を訪ね始めるのです。そして、縄文時代にあった音を再現するために、ご自分で、縄文人のようになって、さまざまな物を叩いて、擦ったりして音を出して演奏する performance をしてきています。

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 そして、2007年に、「縄文と音(青土社刊行)」を出されたのです。有史以前にあった「音」を求めて、縄文人のように音を作る作業をし続けておいでです。木板や土器をたたき、野の獣や鯨の骨をたたいておいでです。鹿の角や草や木などで笛を作り、三味線などの絃楽器の元となるような、動物の腱(けん)などを用いて、弦に結んで、きっと演奏が奏でられていたことでしょう。

 そういえば、旧約聖書の最初の書の「創世記」には、『其弟の名はユバルと云ふ彼は琴と笛とをとる凡ての者の先祖なり (文語訳聖書 創世記4:21)』とありますから、琴と笛という楽器が、『何故に汝潛に逃さり我をはなれて忍いで我につげざりしや我歡喜と歌謠と鼗と琴をもて汝を送りしならんを (同3127節)』とあるように、歌謡と鼗(とう/太鼓の一種です)と琴を奏でています。

 人類誕生の間もない頃には、もう楽器が奏でられ、歌が歌われて奏でられていますから、人は、楽器を奏でていて、神礼拝に、それらによって賛美がささげられていたことになります。

 BC1000年頃の人であるダビデの時代には、『ダビデおよびイスラエルの人はみな歌と琴と瑟と鼗鼓と鐃鈸と喇叭などを以て力をきはめ歌をうたひて神の前に踊れり。(歴代上138節)』と記されていますから、歌と琴と立琴と手鼓とシンバルとラッパと踊りをもって、主なる神さまをほめたたえていたのです。

 わが家には、電子ピアノ、ハーモニカが3本、ウクレレ、タンバリンなどの楽器があります。この21世紀に「音」を奏でる楽器があるのですから、人類の始祖たちも、様々な楽器を奏でながら、神礼拝をし、余興を楽しんで生きていたのでしょう。

(ウイキペディアによるタンバリン、「縄文の音」P、177の古代の楽器の写真です)

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