住めば都の心地して

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 この春で、ここ栃木市に来て6年目を迎えています。家内の入院中や退院後に、実によくしてくださったご夫妻と、その息子さんご家族がいて、時々、小学生のお嬢さんが、遊びに来てくれ、お母さんは、買い物にお誘いくださって、歩いて行けない距離に、車でお連れくださるのです。娘のように、お互いに思うかのようです。

 その方のご両親は、県北の街で、牧会をなさってこられて、ご子息に教会の責任を委ねられている、同世代の牧師さんです。こちらに来られると、寄ってくださったり、お土産までいただいているのです。若い頃に、セミナーや聖会でお見受けしたことがありましたから、けっこう時間的には長い知り合いになります。

 その他に、県南の街にお住まいのご夫妻がいて、家内の散髪に、『髪の毛がだいぶののびたでしょう?』と言っては、やって来てくださって、30分ほどの散髪をしてくださっています。お母さまの掛り付け医が、近くにいて、その通院の折に、寄ってくださるのです。お母さまも奧さまも整髪していて、家内のためにも12ヶ月ごとに、忠実に訪ねてくださっているのです。お昼を一緒にして交わりが続いているのです。

 ご主人は、アメリカの西海岸の街に留学中に、クリスチャンになられ、音楽伝道をなさっておられるのです。あの東日本大震災の後は、復興支援のために移住して、上のお子さんは、あちらで誕生されているそうです。長く復興支援活動を続けておられ、今でも時々出かけておいでです。奥さまは、私たちが滞在した省の隣りの省の出身で、東京の神学校を出ておられるのです。

 またご両親は、信州りんごの栽培が盛んな街の出身で、お父さまは東京の会社に勤められ、東北地方の街の支店勤務を経て、退職まで長く都内にお住みだったそうで、県南の街に家を建てられて、今は、ご主人と死別されたお母さまと共に、栃木県においでなのです。散髪後は、カレーライスを食べたり、先日は、近くの大平山名物の焼き鳥、卵焼き、団子を食べに行ったりの交わりがあります。

 家内は、宇都宮で行われている「まちなかメディカル・カフェ in 宇都宮」の交わりがあって、私も一緒に参加しています。12月には、降誕節の祝会があって、一昨年は家内はピアノ演奏をさせていただいたりしていました。この交わり会の事務担当のご婦人は、時々、わが家に食事をお招きしたり、コーヒーを飲んだりさせていただいていて、娘のようにしていてくださり、通院にも手助けで、車を出してくださることもあります。

 この会に、顧問のようにして参加される医師のお勤めの病院で、漢方の専門医をされていて、この2、3回は、通院して診察をして頂いています。そのようなみなさんの他には、家内の散歩仲間、ラジオ体操仲間、自治会の老人会、家内参加の婦人会などで、近隣のみなさんとの交流があります。

 昨日は、「市民教養大学」の終講があって受講しました。もう2単位で「学士さま」です。2年目の受講で、ラジオ体操仲間の方も参加されておいででした。青森県の「三内丸山遺跡」と、群馬県安中市の「中野谷松原遺跡」の比較を、長年発掘調査をされて来て、退職後、國學院大学栃木短大で教鞭をとられる大工原豊氏の講座で、《古代の浪漫》に感じ入りました。まさに「住めば都」でしょうか、すっかり馴染んでいる今日この頃です。

(ウイキペディアによる、栃木の市木のトチノキです)
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