ある伝道者の切なる願い

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 『私は、平壌の運動競技場を会場にして、民族福音化のための大集会を開きたいのです!』と、一人の韓国人の伝道者が、熱烈に語っておられました。もう40年ほど前になるでしょうか、スウェーデン系の宣教師さんの家で、ご一緒に夕食をご馳走になっていたテーブルででした。

 この平壌は、その韓国人伝道者の故郷だったのです。南北戦争で、朝鮮半島が分断されると言った韓民族の悲劇を被って、故郷回帰の思い、同郷人の救いのための大会の開催の願いを、そう熱く話されたのです。平壌の冬は極度に寒いのだそうです、幼少期を過ごした地は、どんなに寒くても、この方にとっては懐かしく、親族のいる地なのです。世界中の多くの街で、福音宣教をし続けてこられて、『いつか故郷の平壌で!』と思い続けておられたのです。

 しかし、そんな願いを果たせずに、その韓国人伝道者は、2006年に召されてしまいました。故郷平壌は、ますます世界から孤立していき、寂れていくのに、宇宙開発は、驚くほどの勢いをもって、強引に進んで行っています。

 『國の利益は全く是にあり 即ち王者が農事に勤むるにあるなり(文語訳聖書 伝道者59節)』

 王たる者、一国を導く責任を負う者は、国民が、まず食べられるために、農事(農業)に精出すことを言っています。食べられない国民が、大陸間弾道弾など、実はどうでもいいことなのです。国民のお腹がくちくならずして、国政などまず何の意味もないからです。ゲーム機器遊びを王がしている国など、立ち行くはずがありません。

 そうなったのは、内戦の影響ではなく、一人の我儘放題に育てられた後継者の自己満足、遊びなのです。こんな悲劇があるとは驚き至極です。一つの民族の分断は、ドイツが東西に、ヴェトナムも南北に分断された歴史がありました。日本でさえ、南北分断の提案が、日本の戦後処理でなされたのですが、台湾の蒋介石夫人の宋美齢女史の執り成しがあって回避された経緯がありました。

 飢えている実情が、もう何年も何年も前から伝えられていますが、満ち足りるほど食べている人には、飢えている同胞の苦しみなど分かろうはずがないのです。さらに信仰上の迫害があります。存在するモデル教会は、形式だけの宣伝用の教会ですが、そんな中でも、信仰を持つ人がいるのです。政府高官子弟の中に、もいるようです。現在、 2040万人ほどのクリスチャンがいるとされています。みなさんは激しい迫害と困難の中にあるのです。

 『3:12凡そキリスト・イエスに在りて敬虔をもて一生を過さんと欲する者は迫害を受くべし。  3:12凡そキリスト・イエスに在りて敬虔をもて一生を過さんと欲する者は迫害を受くべし。(大正訳聖書 2テモテ書)』

 隣国に、そう言った信仰上の困難があることを、覚えながら、祈りをしていく必要が、私たちの国のクリスチャンにはあります。信仰による困苦や失うこと、さらには死でさえも恐れずに、信じ続けるクリスチャンたちがいるのです。この自由と繁栄の日本の中にも、同じく信仰上の別の面での困難がみられます。主のおいでが近いのかも知れません。

 あの熱漢の伝道師の願いは、どなたかが代わって、平壌の競技場に溢れるほどの観衆、求道者を集め、そのみなさんに向かって、贖罪の福音が語られる日がくるのを信じて、祈っていきたいものです。主に忠実さに信頼して参りましょう。

(ウイキペディアによる「平壌球技場」です)

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