再びエルサレムの平和を祈る

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 『ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。(詩篇147節)』

 『エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。 エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。 そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。 そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。 エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。 おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」 私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」 私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。(詩篇122篇~9節)』

 『恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。──主のことば ──あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者(イザヤ41:14)』

 『わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。 (ヨエル3章2節)』

『 万軍の主は飛びかける鳥のように、エルサレムを守り、これを守って救い出し、これを助けて解放する。」 (イザヤ31章5節)』

 『あなた(アブラハム)を祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記123節)』

 『諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る」と。 (エレミヤ31章10節)』

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お米の話

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『主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。(詩篇111篇5節)』

 ここ関東平野の北の栃木では、黄金色に実った稲の収穫の季節を迎えて、ほぼ刈り取りが終わりかけています。ここでは、「西方米」が美味しいと言われていますが、わが家は「四つ葉生協」のお米を食べていて、結構安全で美味しいのです。といっても、一カップを二人で分け合うほどなのですが。

 華南の街の街角の商店に、「秋田小町」と名札をつけて、お米が売られていたのです。早速買い求めて、炊いてみました。とても美味しく食べたのです。お米をいただくことが多かったのですが、それ以来、買う時のは、この「秋田小町」に決めていたのです。

 どこで作られていたのかと言いますと、東北部の黒竜江省だと、袋に印字されていて、日本米の栽培が行われてきているのを改めて知ったのです。そう言えば、この地域には、戦前は、日本人が開拓団を組んで入植し、お米の栽培をしてきていたわけです。

 そう言った旧満州国時代に、この地で行われていた農業は、その後も受け継がれていったようです。とくに、戦後、1980年代にはいると、田中稔を団長とする日本稲作技術団の田中稔を団長として、この地にやって来られて、ビニールハウス・箱育苗・機械田植技術(大棚箱育苗機械田植技術)が導入されています。5年ほどの間、田中稔は毎年訪問して農業指導をされたいたのです。

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 この田中稔は、冷害に強くて、低温の中に生育する「藤坂5号」と言うお米を作り出した人で、「稲の神様」と言われる、日本の米作の貢献者の一人なのです。夭逝したお父さんの出身地の山形県の高擶村(現在は天童市です)で大きくなり、三重高等農林学校で、遺伝学とともに、稲作栽培法を学んだ方で、卒業後、農林省に入られ、その後、秋田県大館市にある陸稲試験地で稲の品種改良の仕事に従事しています。

 そんな経歴の後、農林省が、「凶作防止試験地」を各地に設置した時に、その一つが「藤坂村(現在の青森県十和田市藤坂です)」で、そこで産み出されたのが「藤坂1号」だったのです。日本の米作は、冷害によって、収穫減に見舞われたのですが、画期的な米作が行われ、「藤坂5号」が生産され、今日に至っています。

 ササニシキは、この「藤坂5号」の系列で生み出された人気のお米なのだそうです。戦後の食糧危機にも、このお米が、日本の食糧危機から救ったと言えるようです。きっと、母が炊いてくれたお米も、この種の物があったことでしょう。今夏、そして秋にかけての猛暑は、このお米にも影響を与えていて、秋田でも、今年の収穫されたものは、一等米の評価はわずか1.4%だと報告されています。これまでは90%以上だったのに、生産者は減収になってしまうようです。あの「秋田小町」もそうなのでしょうか。

 食欲の秋、先日家内の友人が、新米を持って訪ねてくれました。炊こうかどうしようかを思案しながら、まだ、そのままにしてあります。長い桶目を食べてきた日本人の私も、《塩おにぎり》や、お米の上に、新鮮な魚の切り身を載せた《寿司》は、何よりも、『うまい!』を覚えてしまう、根っからの日本人の裔(すえ)なのです。

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