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1946年9月、東京帝国大学卒業式で、時の学長、南原繁が次の様な、餞(はなむけ)の言葉を語っています。
『・・・敗戦日本の復興のための世界歴史的教訓として、近頃しばしば人の説くデンマルクをして、80年以前、同じく敗戦のどん底から立ち上がらしめ、よく平和と文化の幸福な国土を築くに至らしめた所以ものは何か。実にかような真理と精神の力に対する無限の信頼を抱いたところの隠れた幾多個性のあったことに因るのである。
かの三千平方哩の荒寥たるユトランドの曠野を化して遂に緑の林野となし、この国の林業および牧畜の一大富源をつくったのは、若き地質学者にして復員軍人たるダルカスとその子の事業であった。そしてかれら父子をしてこの事業を完遂せしめたものは、実にユゲノーの自由の信仰と、誤解と嘲笑に堪えてあくまで真理を探求する不屈のたましいであったのである。また人の知るデンマルク創始の国民高等学校は、ひとりの精神の指導者グルンドウイの思想に共鳴したところの、コペンハーゲン大学卒業の数人の学士が、その未来に約束された輝かしい地位を捨てて、それぞれ田圃に立ち帰り、地方青年の間に神を敬し、隣人と祖国を愛する人間の教育を始めたことに由来する。これがのちに全国に組織せられ、今日のデンマルクを担うところの国民の中堅層は、ここで養成せられたのである。・・・諸君、我々を取り囲む環境がいかに苛酷でであろうとも、いまこそわれらの学んだ真理と精神の力を発揮すべき時である。』
この南原繁は、香川県から上京し、一高、東京帝国大学に学び、青年期に新渡戸稲造に強い感化を受け、さらに内村鑑三の教えを受けた人でした。青年期に受けた薫陶は、学問だけではなく、精神の高さが培われていました。まるで神学校の卒業生に、その校長が送る言葉の様に語ったのです。その最後で、次の様に語って終えています。
『諸君は今日ここに別れを告げるわれら師友と、諸君が長い学窓生活の最後を学んだこの学園のことを、今後の生活の幾曲折において、想い残されんことを望む・・・かくて諸君何処にありても、われわれとともに同じくこの母校を中心として、見えざる真理の紐帯によって結ばれた一つの結合のうちに常にあるであろう。
さらば卒業生諸君!いつまでも真理に対する感受性を持ち、且つ気高く善良であれ!そして常に明朗にして健康であれ!』
⚪︎ ユトランド(Jylland )
ヨーロッパ大陸北部にある、北海とバルト海を分かつ半島である。北側がデンマーク領、根元のある南側がドイツ領である。「ジュート人が住む地」という文字通りの意味である。
⚪︎ダルカス(Enrico Mylius Dalgas)
デンマークの軍人,デンマーク・ヒース協会初代会長。デンマークに1782年に移住したフランス系の家系に生まれ,1853年北ユトランド,ビボーの軍道敷設隊の工兵中尉に任官,56年大尉に,80年中佐となる。ビボー在勤中にユトランドの土壌を熟知し,66年オーフスで友人らとともにヒース協会を設立し,ヒース地帯の開墾に力を注いだ。
⚪︎ユゲノー(ユグノー/Huguenot)
16~18世紀のフランスのカルバン派プロテスタントのこと。手工業者・独立自営農民・小商人に多く、次いで貴族層に浸透。カトリックと対立し、ユグノー戦争を経て、1598年のナント勅令により信仰の自由が認められたが、1685年、ルイ14世の勅令廃止によって再び禁止され、1787年、ルイ16世の寛容令によって自由を得た。
(デンマークのユトランド半島です)
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