天なる故郷

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 これは、2006年の晩秋、天津の「外国人公寓gonyu/アパート」の7階の窓から写した写真です。巨大な煙突から、周辺のビル群の部屋暖房のために温水を循環させるために、水を沸かすためで、石炭が燃やされた煙が写っています。

 夕日が、地平線に落ちて行く前に撮影したのです。中国大陸の延々と広がる大平原のど真ん中にすみ始めた感じは、鹿や熊の出る様な山の中で生まれて中1まで過ごし、巡りを急峻な山に囲まれた盆地の中で三十数年過ごした私には、寄り掛かるもののない不安定さになれるに、だいぶ時間がかかりました。

 そこから北の遼寧省や吉林省や黒竜江省に行って住みたいと思っていた私には、想像を絶する広さでした。そして、当時の街中は、灰色や黒色がほとんどで、緑の樹々の少なさに、物足りなさを覚えていました。歩いている人の服装も、無難色で動くには、公共バスとタクシーと電タク、そして自転車ばかりでした。

 そこで1年過ごした私たちは、華南に導かれて、都合13年は、激変の年月でした。道路は整備され、自家用車が増え、女性がズボンからスカートに履き代わり、パン屋と果物屋が増えていきました。最初の年に、天津の街に、「吉野家」が出店して、ドイツ人に誘われて食べに行ったほどでした。マクドナルドとケンタッキーも雨後の筍の様に増えていきました。祝宴や葬儀の時の爆竹には、足元で爆発して飛び上がるほどでした。
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 けっきょく、北へは道が開かないで、反対の華南に移り住んで、腰を据えてしまったのです。素敵な出会いがあり、悲しい別離もあり、驚く再会もありました。最近は、何人もの子どもの写真が送られてきています。何年も何年も待って、やっと与えられた女の子が、2歳になったと言っておしゃまな写真が、昨日も送られてきました。

 逃げ込んだアルジェの街で、パリに帰りたいと願う、ジャン・ギャバンが演じた警察に追われるペペ・ル・モコの憂いに満ちた目が思い出される様に、私も華南の街に、「郷愁」を覚えてしまうのです。旧海軍の街の港を見下ろす高台のホームで、老後を過ごしている何人もの方たちを訪ねたことがありました。昔話を懐かしく語ってくれたみなさんの目も、郷愁にあふれていました。

 きっと今の自分の目も、そんな郷愁を湛えていそうです。海浜の村の高台にある墓地で、素晴らしい交わりをしていただいた方のお母様の埋葬式がありました。その個人墓地に、友人が私たちも葬ってくれると言ってくれたのです。そこから眼下に広がる東シナ海の向こうに、日本があるのだと言っておられました。

 帰国して2度目の年の暮れを、ここ北関東の街で迎えています。忙(せわ)しなかったこの季節でしたが、今は、静かな一日一日を単純に繰り返して、過去を思い出し、人との別離を思い返し、仕上げの時を送っています。天(あめ)なる故郷に憧れている日々です。

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