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今の様に、薬が「カプセル」に入ったり、錠剤になっていないので、肺炎に罹り、風邪を引くたびに、お医者さんがくれる粉薬をオブラードで包んで、水と一緒に服用していました。小学生の頃に、何度、そうやって飲んだか数え切れません。この粉薬を「散薬」と呼びます。
私の通っていた小学校に通学区域に、石田という地域があり、そこに、江戸期の初め頃から、「石田散薬」と言う、自家製の薬がありました。宝永年間に始まり、明治維新後に薬事法が出るまで、骨折や打ち身、捻挫、筋肉痛、また切り傷などに効用があるとして、民間治療薬として愛用されていたそうです。その散薬には、「フラボノイド」と言う、チョコレートに多く含まれている成分が多く含まれていたのが、近年になって分かったそうです。
この散薬の「散」ですが、これが付く「散歩」と言う言葉があります。家内は、免疫力の向上のためによく散歩をしていますが、三歩どころか、千歩万歩と歩こうとしています。『散歩とは、気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くことである。散歩というのは、多くの場合、自宅や滞在している場所などの周辺を、とりとめもなく、ぶらぶらと歩くことを言う。(ウイキペディア)』。ですから、ほんとうは、スポーツの” walking ” なのでしょうか。
この散歩と「散薬」と関連がありそうです。『苦難の旅で失明した鑑真だが、薬を鼻でかぎわけるほど医薬に精通していた。たずさえてきた薬のなかに虚弱体質を改善する「五石散」という鉱物性の製剤があった。体が温まり、熱を発散しないと薬毒がたまってしまうため、服用すれば歩き回らなければならなかった。これを「散歩」と言った(立川昭二『いのちの文化史』)。』とです。
歩き回って、薬に成分を「散らそう(発散)」としたからでしょうか。「散策」とか「そぞろ歩き」とも言います。薬と言えば、もう何年も前に、薬科大学の教授が、薬の種類の多さの質問に、次の様なことを言っていました。『どの薬も効かないからです!』と、専門家が断言していたのが、可笑しかったのです。でも、家内の化学治療の薬は、確かに効いているのは感謝です。
薬に「偽薬」がある様です。” プラシーボ(英語: placebo )” とか “ プラセボ(placebo) “ と言います。砂糖でも片栗粉でも、『効く!」信じて飲むと、病状が好転してしまうのです。こんなことを考えていたら、昨日は、中国で出会って、好い交流を続けて来た方が、東京近郊に工場を建設して、事業を拡張しようとしていて、時間を割いて、息子さんとお嬢さんを伴って訪問してくれました。彼と一緒に、大手医薬品会社に務める浙江省紹興出身の方も、小3の男の子と、家内を見舞ってくれたのです。
ご夫妻で、ご自分たちの父親や母親の様に慕ってくれ、いつも好くしてくださる方なのです。七人で〈過密〉になるのですが、家に入る時には、アルコール消毒をし、ファブリーズをし、口にはマスク、ソシアルディスタンスをとり、昼食を近くにファミレスでとったり、楽しいひと時でした。まるで家族の様でした。まさに「良薬」の訪問でした。
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