若者風情


九ヶ月ぶりの日本は、豊かな感じがしましたが、それは表面的なことだけなのでしょうか。アメリカ経済の破綻、ギリシャの国家的経済の困窮、そのあおりで世界経済が減速していると聞いていました。さらに、昨年の大震災の影響と円高で、日本でも中小企業が生き残りをかけて、東南アジアに新天地を求めて、安い人件費、特恵待遇をえて工場疎開をしていると聞いています。そんな動きの中で、国内の求人が減少し、景気低迷しているのだとの情報を得ていましたから、ちょっと意外な感じを覚えたのです。成田空港からJRエクスプレスの電車に乗って新宿に出て、中央線に乗り換えて、母のいる街の駅で下車しました。私の周りにいる人の様子、着る物、持ち物、表情、動きなどには、落ち着きがあり、豊かさや満足さが見られたのです。息子は、『見せかけ!』と言ってます。

この狭い国土に、多くの人が生活しながら、これだけの経済の繁栄を経験し、それを持続しているのは、やはり「東洋の奇跡」に違いありません。終戦後の焼土とかした国土荒廃、敗戦経験による戸惑いと無気力さの中で、朝鮮戦争の「特需」が、日本の経済界に勢いをつけたことを、小学校の社会科の授業で学びました。また、城山三郎の「官僚たちの夏」によりますと、戦後の経済界を鼓舞激励したのが通産省の官僚たちであったようです。占領国の悲哀を克服するために、国家主導の産業界の再編成がなされたのです。世界に通用する「物作り」に励み、さらなる改良を積み上げてきたのが、私たちの父の世代で、それを受け継いだのが私たちの世代だったのでしょうか。頑なまでのこだわり、愚直な努力、世界を『アッツ!』と驚かせ続けさせてきた極上の物の生産と提供でした。そして、その動きが、今日にいたるまで続いていることに、驚かされるのは私だけではないと思うのです。

幾たびも奈落の底に落ちそうな瀬戸際に立たされながらも、這い上がろうとする遡及力を忘れないで、奮い立った先人から、こういった心意気を継承したのにちがいありません。しかし日本の物作りにしても、その発端は、朝鮮半島から渡来し、帰化した韓民族にあります。さらに、この韓民族に知恵や技術をもたらせ、精神・思想を教えたのが中華民族になります。この歴史の事実を忘れたら、日本人の独りよがりになってしまいます。「謙遜さ」を徳とする日本人は、これを忘れずに、励んできた結果、この特性を身につけることができたのに違いありません。そうやって築かれた繁栄は、前の世代からの遺産であって、今の世代が、この恩恵への感謝を忘れてしまうと、見せかけの繁栄も潰えてしまうのではないかと、ちょっと心配です。

今、帰国時の宿を次男の家に決めて、都会のど真ん中で過ごしています。昼ご飯時に、次男と一緒に出て、あちこちと歩いたのですが、お上りさんと思しき老若男女が、そぞろ歩いてるのと行き合いました。華の都の名所の一つなのでしょうか、訪ねてきたみなさんには購買力があって、好いものを求める高級志向は衰えているようには見えません。しかし、義母を尋ねた先週、地方都市の中心街の街並みは、年年歳歳、シャッターの降りている商店が増え続けているのです。『ここにあった店が、駐車場に変わってる!』というケースが多くなっておりました。かつての羽振り好さを感じることができないのは、とても寂しいものです。東京はともかく、地方に活力がなくなっているのを感じますから、日本はアンバランスになって、周りの海に落ち込んでいってしまうのではないかと、とても心配になってしまいました。

どこででもみかける顔立ちも服装も整った若者なのですが、海外志向から国内残留、冒険よりも保身、アパートに住みながらも似つかはしくない高級新車を手に入れたいと願うマイカー志向から何ランクも下がってちょっと格好の好い自転車志向に転じているのだそうです。堅実といえばそうですが、「危うさ」は若い人の特許だったのではないでしょうか。アジア人蔑視のヨーロッパに勇躍乗り込んで行った彼らの父や祖父の〈野望〉をなくしてしまっているのは、なんといっても寂しいものがあります。背伸びをすることなく、小ぢんまり纏まっている覇気の無さが、将来の日本にとっては、心配の種ではないでしょうか。「ゆとり教育」の教育効果は、シッカリと上がっているのですが、〈人間力〉が弱くなっているのが、極めて心配でなりません。九ヶ月ぶりの日本の現実に、戸惑う2012年の年の初めであります。

(写真は、代官山の街角風景です)

大将


 昨日、「親バカ」の次女からメールが来ました。小学校1年の息子の近況を、ジイジの私に知らせてきたのです。

『・・・毎日膝と服を泥だらけにして帰ってくる。どうも休み時間はお決まりの”フットボール”をしているようです。年上の子たちと一緒に走っているみたい。休み時間の先生と話をすると、校庭に3人ぐらいの大将(chief)がいて彼はその1人だそう。彼以外は2年生、3年生。この先生は思ったことをはっきり隠さないで言う人で、3人の性格を言っていたよ。
 彼はどんな大将かあててみて。
  1.ずる賢い大将(自分の良いように人を動かす)
  2.暴力大将(すぐ人をたたく)
  3.素直な大将(注意をされると二度としない)
ちょっと親ばかだけど、彼は〈3〉だそう。驚いたけど、彼はそんな子らしいよ。”本が書ける”ほどドラマがあるよう。子供の世界はシビアだからね。上手にできる子とできない子がいるんだよね。では彼のお弁当つくらなきゃ。じゃ、☆ちゃんによろしくね。・・・』

それで、私は、こんな返信をしました。

『・・・そう、3種類の「大将」がいるんだね。子供の世界を、そういった目でしっかり見ている先生がいるんだ。彼の大将ぶりは、そうだろうと思うよ。策略計略大将や強圧暴力強引大将でないんだね。公平で、みんなに好かれ支持される大将になってほしいね。ドラマを記録しておいて、教えてね。小学校の5~6年まで、クラスの番長だったけど、ある時、世代交代されて、没落したことがあったよ。三日天下だったけ、彼みたいな「好い大将」ではなかったからだね。今は、反省してるけどね。Sくんという同級生だけが、お父さんの味方になって、休み時間はいつもSくんと一緒で二人きりだった。◯◯◯の消防署に、お父さんが勤めていたけど、どうしてるかな。・・・彼のリーダーシップを、養い育てたいね。◯◯、頑張ってね。◯◯ちゃんは、そんな兄貴を見てるんだね。◯◯◯◯オジ(家内の長兄)も、番長だったようです。すごく正義感があったようです。彼らのお父さんとと◯◯◯◯オジに似たんだね。・・・』

 中学を出て、ハワイの高校に留学して、夏期休暇で親もとに帰ってくると、近所のスーパーのレジのアルバイトを、姉と一緒にするのを常にしていました。彼女の兄と弟も、そのスーパーで働いていましたが。高校を出ると、西海岸の大学に進学し、卒業後の1年を大学付属の幼稚園で働いて、帰国間近に、その街にあった学生宿舎で出会った一人の青年と結婚したのが、この次女です。ある時、『お宅は、どんな躾をしてるんですか!』と、電話が入りました。行動派で目立って、いつもみんなの真ん中にいた彼女を、目立たない子のお母さんに妬まれたのでしょうか、子育てまでも干渉されたことがありました。4人を育てさせてもらいましたから、ちょっとやそっとの非難で落胆することはありませんでした。家内と私は、好いところや自然性を大事にして育てようと決心していましたから。今、この次女には二人の子が与えられて、子育て真っ最中です。〈だれにも愛される子〉であるように、そんな子育てをして欲しいと、メールの返信をして思う今朝であります。どんなドラマがあるんだろうか?

(写真は、ライオンの母子です)