昨日は「大寒」でしたから、一昨日になるでしょうか、東京に初雪が降りました。久しぶりの日本の雪を、息子の家の窓から眺めていましたら、ひとつの歌を思い出したのです。それは山崎唯作詞・作曲の「白い想い出」でした。

雪が降ってきた ほんの少しだけど
の胸の中に 積りそうな雪だった
幸せをなくした 暗い心の中に
冷たくさびしい 白い手がしのびよる

雪が溶けてきた ほんの少しだけど
私の胸の中に 残りそうな雪だった
灰色の雲が 私に教えてくれた
明るい陽ざしが すぐそこに来ていると 

灰色の雲が 私に教えてくれた
明るい陽ざしが すぐそこに来ていると
すぐそこに来ていると

 いつごろだったか調べてみましたら、大学に入学した1963年(昭和38年)に流行っていた歌だったのです。ちょっとおセンチな歌詞と悲しいメロディーですが、この歌を思い出してしまうのは、年を重ねてきた証拠なのでしょうか。太陽のように輝く青春の日々だったといいたいのですが、アルバイトに明け暮れていました。芝浦の埠頭や横浜で、手配師が、『お前・・・お前!』と、その日に必要な頭数を揃えていく中で、雇われて日雇いの「沖仲仕(港湾労務者)」もしていたでしょうか。荷揚用の小さな船に乗って、沖に停泊している貨物船に行き、船倉に降りての荷降ろしの仕事や、大型トラックの助手などをしていました。

 この歌詞にあるような、「暗い心」や「灰色の雲」ほどではなかったのですが、恋が実ったと思って喜んだら、壊れたり、何もかもが不調で試行錯誤の日々だったのではないでしょうか。昨晩、今朝の明け方といったほうがいいのでしょうか、夢をみました。「初夢」ではないのですが、ちょっと切なく甘酢っぱい思いに浸されたようです。時々ランチを作ってもってきてくれた同級生がいました。汗臭い男子校で6年過ごして、女心が分かっていない私は、お腹がいっぱいになっただけで、映画や喫茶店に誘うこともないし、手を握ることもないままだったのです。夢というのは、その頃の思い出だったのですが、目が覚めたら細かいことはぜんぶ忘れてしまいました。ずいぶんと年月が経ってしまったのですが、最近、ちょっと青臭い夢を、時々見るのです。何かし忘れたことがあって、悔いが残っているからなのでしょうか。そういえば、二度ともどることのない青春の日々は、やはり悔いが多く積まれているのかも知れません。

 同世代のみなさんやちょっと先輩の方々と、電車などで乗り合わせるのですが、惚れたり好いたりした過去があったのでしょうけど、そんなことは全くなかったような涼しい表情をしている様子をみるにつけ、手を握り合ったり、抱き合ったりしている若者の横を通り越しながら、人の目のあるところでは決してしなかった彼らは、『どう思てるのだろう?』と、自分のことはよそに、そんなことを考えている自分が、おかしくて仕方がありません。「时间过了很快」、これは『時間の経つのがとても早い!』という中国語ですが、自分の青春の時は、鳥が飛び立つように過ぎ去ってしまって、一切が過去形になってしまっているわけです。今は、山奥の小さな湖水の水面のように、心の思いが透徹して澄んでいる・・・・と思いたいのですが、何とまだまだ生臭いのには困ってしまいます。

 渋谷から東急東横線で一つ目、山手線の恵比寿から歩いてすぐの「代官山」は、都会の喧騒から距離があって、たたずまいが落ち着いているのには驚かされます。お洒落で気取っていて落ち着いているのは、信じられないほどの感じがしています。昨日は、横浜よりひと駅の中目黒まで行って、「ブックオフ」で本を探してみました。こういった過ごし方は、やはり日本の生活なのだと思ってしまいます。

 そういえば明日は、中国では「春節」、つまり旧暦(農暦)の正月元旦なのですから、今日は日本的に言うと「大晦日」になります。今晩の中国は、爆竹の破裂音と花火の打ち上げ音で街中が大騒音に満ちあふれることでしょうか。「春の到来」の喜びが、張り裂けるお祝いなのですね。中国、そして中国の親しいい友人たち、隣人のみんさんに取りまして、この新しい一年が、喜びのあふれる祝福の年であることを心から願っております。