真冬になると、中国大陸の奥のシベリア、その奥の北極圏の上空から押し出された寒波が日本列島に襲来します。このため日本海側は、旧正月に入ってから、歴 史的な豪雪に見舞われているとのことです。太平洋岸の東京のど真ん中に、この1月の初めからいる私は、ニュースの映像で観るだけですが、積雪地の未曾有の 雪害から、みなさまが守れるようにと心からお祈り申し上げております。

 雪を見て、ただ単純に『きれいだ!』と感嘆して、楽しむだけしかしない私たちには、雪の中で何百年もの間、その厳しさに耐えて生き続けてこられたみなさん のご苦労を思いはかることができません。一度も生活をしたことのない私は、雪が溶けて春になるのを待ちわびた、この豪雪地のみなさんが種を巻き、苗を植え て、手塩をかけて育ててくださった、美味しいお米や野菜、また荒海に船を出して収穫してくださった魚介類を供給し続けてくださています。それは、お金を 払って買うだけのことでも、生活の糧を得るだけの生業でもなく、「農」や「漁」を天職とされて、どんな困難な事態にもあきらめないでそれを継承し続けて下 さり、励んでくださったことを忘れてはいけないと思っております。ですから、私は決し感謝を忘れたことはありません。

 日本人の根の強さは、この厳しい自然環境と対決し続けて、過酷な自然環境の中で、知恵を育んでこられた先人から学び取ったからではないでしょうか。昨年の 東日本大震災で見せた日本人の特質には、世界から感嘆の声が上がりましたが、この類を見ない特質や文化を育んできたのは、こういった呼び方は避けたいので すが、「裏日本」だと思うのです。ある時は「いなか」、「地方」、「過疎」とさげすまれ、偏見の的であったのですが、父や祖父や先祖から継承してきた業 を、おのれの「仕事」として勤しんでこられたからであります。

 冬、雪の日に、手の器用な兄が、みかん箱で作ってくれたソリに乗って、崖の上から滑り落ちたというよりは、転がり落ちたことがありました。霜柱を踏み、氷 柱(つらら)を手にして遊びました。雪や冬を遊びの手段や時期にしてきた私にとっては、驚くほどに積った雪を、屋根からおろし、通路を確保しているみなさ んのお姿をみるにつけ、ただ、『大変!』と、言葉を漏らすだけです。「大変さ」には慣れてきたみなさんの根気強さは、この現実をはねのけていかれるのでは ないかと思うのです。若かったら、雪落としにでも出かけたいのですが、術後の私には何一つできないのは歯がゆいばかりです。そんな今のわたしの唇から一つ の童謡がついて出てきました。相馬御風の作詞、広田龍太郎の作曲に夜、「春よ来い」です。

    春よ来い 早く来い
    あるきはじめた みいちゃんが
    赤い鼻緒の じょじょはいて
    おんもへ出たいと 待っている

    春よ来い 早く来い
    おうちのまえの 桃の木の
    つぼみもみんな ふくらんで
    はよ咲きたいと 待っている

 やがて雪が溶け、木々の芽がふき、春の日が照るのですが、それまでの日々、雪害から守られて、喜びの春をお迎えになれるように、心から願っております。