和の里の湯

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 昨年の暮れに、一つの買い物をしました。新聞配達をしている友人が紹介してくれたものです。田舎の道路際に、作業場兼展示場があって、店頭に並べて販売していた物です。前もって、『あったら紹介してくださいね!』とお願いしていたのです。しばらくたってから、『廣田さん、おそこで売っていました!』という知らせをしてくれたのです。それで自動車を持っている友人に乗せていってもらって、買いました。自動車の後ろのシートに積み込むことができて、家まで運んだのです。力仕事を禁じられていましたので、アパートの門衛をされている若い方と交渉して、15元(200円弱)で、5階の私たちの家に運んでもらったのです。そして、シャワールームに入れてセットしたのです。もう何かお分かりと思いますが、「風呂桶」です。木目があって、まさに日本で昔使っていた風呂桶と、ほとんど同じような形と感触です。 

 小学2年から20歳まで住んだ街の、私たちの家から甲州街道に下ってくる途中に、風呂桶屋さんが二軒あり、暖簾分けしたのでしょうか、同じ屋号でした。その作業や道具が面白くて、学校の帰りには、よく覗き込んだことがありました。独特な鉋(かんな)で、『シュッ、シュッ』と丸みを帯びて削ったり、その木を接着剤を使わないでつなぎとめる技術は圧巻でした。水をいれると、しっかりと膨張して、一滴の水も漏れることがないのです。乾いていても、タガが外れることがなかったから、驚くほどの技術だったのでしょうか。しかも木の材質が、「檜(ひのき)」でしたから、何とも言えない木の香がしていました。大人になって、有名な温泉場の浴場が、この檜で出来ていたことがあって、子ども頃を思い出されてとても懐かしかったのを思い出しました。買った風呂桶は、ニスが塗ってあり、木と木とは接着剤て合わせてあって、子どの頃に眺めた、桶屋さんのような緻密さはないのですが、大満足です。

 さて、風呂桶を入れたシャワールームを、実は「和の里の湯」と命名しました。というのは、このアパートに「和」の漢字が使われていること、家内と「和やかに暮らすこと」を願って、そう呼ぶことにしたのです。将来は、三保の松原から富士を仰ぐ絵を浴室の壁に描いてみたいなと思うのです。今晩、つまり元旦の晩も、この風呂桶に湯を張って、「伊香保温泉の素(入浴剤)」を入れて、「八木節」と、永六輔作詞、いずみたく作詞、デユーク・エイセスが歌った「いい湯だな」を、一声、二声うなりました。湯気は天井からポタリとは落ちませんでしたが、ひと時、中国にいるのを忘れて、群馬県の山奥にいるような錯覚を楽しんだのです。

 これまで中国での生活に何も不自由を感じなかったのですが、ただ一つ、『これに加えて、風呂に入れたら天国なのだがなあ!』という願いを消すことができなかったのです。その切なる願いが叶えられて、満満足な元旦を過ごすことができております。ある日本人の友人の家を、昨晩訪ねて、ごちそうになりましたが、彼の家には、「畳」の部屋があるのです。次は「畳」かなと、ちょっと日本情緒に恋心を感じている、2012年の年頭であります。風呂桶は日本円で6000円ほどでしたから、夢を叶えるにはずいぶんと投資がすくなくてすみましたのも、満足の一つであります。今、家内が、『極楽、極楽!』と言って出てきました。

(写真は、木曽さわらの風呂桶です。こんなには立派ではありませんが!)

笑顔で!

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 2012年の初めにあたり、心からのご挨拶を申し上げます。
 昨年の年頭には、誰もが明るい一年を願ったのですが、3月には、歴史にもまれな地震が列島の北、東北地方を大きく揺さぶり、甚大な被害をもたらしました。この地震に伴って発生しました津波が、美しいリアス式の三陸海岸を襲ってしまいました。また、この津波は、福島の海岸線にあった原子力発電所を襲って、壊滅的な照射線漏れを起こし、日本ばかりではなく、隣国にも世界中にも、不安と怖れを引き起こしてしまいました。結果論になるのですが、もし周到な備えがなされていたら、的確な初期処置がなされていたら、これほどの被害は起こらなかったのだと、どうしても思ってしまい、悔しさが湧くき上がってきます。それほどに危険だということを、しっかりと認識した上で、安全対策がこうじられていたら、これほど多くの人々の人生を狂わることはなかったのに、と大変悔やまれます。でも、これほどの困難に出会いながらも、願わなかった現実を受け入れて、その上にしっかりと立ち、生き方を変えていこうとしている、被災された多くのみなさんがいらっしゃって、その柔軟さに本当に励まされております
 
 この新しい年の元旦、六度目の正月を、ここ中国で迎えました。澄み切った青空が、なんとも言えない希望を胸の中に広げてくれるように感じております。しかし、晴れの日ばかりではなく、日本でも、どこの国でも、決して願わない何かが、今年も起こりうるのではないでしょうか。幸福も、そうでない不幸も、私たちは受けなければならないのでしたら、安易な考えは持つことはありませんが、起こりうる可能性をしっかりと認識しながら、どちらにでも対応できるように生きていきたい、そう思わされております。

 
 陸上競技でも野球でもサッカーでも、『走者が走るのは、、どうしたら良いのか?』という、〈スポーツの調査〉の結果を聞いたことがあります。〈笑顔〉で走るほうが、苦しい表情で走るよりも、速く走れるのだそうです。私たちの人生が、80年ほどだとしますと、そんなに早く走ることは要求されないのですが、人生の意味を満喫したり、有意義に生きたりするのは、やはりこの調査結果から学んで、〈笑顔〉で生きるのがいいということになりそうです。2012年、相形(そうぎょう)を崩して、微笑んだ顔、笑顔で生きていきたいと思っております。
 
 人生の困難に直面して、どうしても避けられない事態に直面したときに、そのただ中で、次のような思いで心を満たすのがいいのだそうです。『この事態が好転したら、この国土の美しい自然の中に出かけていって、その景色を満喫しよう!あの美味しかった◯◯を食べよう!愛する人や懐かしい人と会おう!』との思いを持つことなのだそうです。明日の危険におびえるよりも、明日に希望や夢や幻をつないで生きて行くほうが、はるかに素晴らしい生き方となるに違いありません。
 
 『生きていることを楽しみたい!』、今年はこんな標題を掲げてみたいと思っております。様々な出来事や人に出会うことでしょうから、その出来事を、その人を、心から笑顔で迎えて、楽しもうと思います。心が元気になる本を読んだり、話を聞いたりもしたいものです。
 良いお年をお過ごしください。また、どうぞよろしくお願いいたします。

(写真上は、荘厳なる大空、下は、岩手県岩泉町の秋の紅葉「美しい日本の風景」です)