『あっ、この場面、いつか見たことがる!』、『えっ、この場所、いつか来たことがるんだけど!』と思ったことが、何度かあります。どう考えても、初めて出会ったのではないと思うのです。『どうして、この光景や、この街に見覚えがあるのだろうか?』と、しばらく考えこんでしまわけです。しかし現実の印象のほうが強くて、過去の経験を押し出してしまうのが常です。これを《デジャヴ(既視感と訳されたフランス語です)》というのだそうです。これは、ひとつの《記憶障害》なのだそうですから、あまり多くを語りますと、治療を勧められそうなのでやめますが。
4月21日の夕刻、三ヶ月ぶりに、長楽にあります「福州国際机場(飛行場)」に降りました。空港から街中まで、中国版リムジンに20元で乗り込んだのですが、沿道の風景はみなれた独特な懐かしいものでした。心のなかで、第二の古里と決めてありますので一入です。風景の懐かしさはもとより、ここには独特の「匂い」があるのに気づきました。育った中部山岳の山里にあった家にも、沢違いの同じような村里の家にも、4人の子どもの教育のために越してきた八王子、日野、稲城の家にも、そこには父母がいて、兄弟たちがおり、飼い犬もいて、住む家は違っても、父の家の「匂い」の懐かしい記憶があるのです。子育てをした盆地の中の、いくつもの引越し先、住宅にも、それぞれの思い出と共に、家族の独自の「匂い」があったのを思い出すのです。
今回の帰国の折、長男の埼玉の家で過ごしたときに、『この洗濯物の匂い、アメリカのオレゴンの匂いがする!』と感じたのです。そういうのはよくありますね。この街にできたスターバックスに入りますと、初めて入ったホノルルの店の雰囲気や匂いを思い出しますし、オレゴン・ポートランドも思い出してしまいます。しばらくご無沙汰をしていますので、近いうちにスタバに行ってみたいと思っています。
今回の東北日本大震災で被災された方々の住み慣れた街は、無残にも押し流されて跡形も無い惨状を見せています。遠望の山や街の形は残っていても、歩きなれた道も公園も商店街も学校も見当たらなのだそうです。今朝テレビを見ていましたら([KeyHoleTV3.13]というインターネットの局があって、次男に見れるようにセットしてもらいました)、お母さんの故郷の福岡県直方(のうがた)の高校に入学した、新一年生の女子高校生の特集が放映されていました。何代も何代も住み慣れた故郷や友人から離れるというのは、定着居住の農耕民族の日本人にとっては、実に厳しい選択と決断なのでしょうね。でも、きっと素晴らしい思い出を携えてやって来た九州で、確りと学ぼうとした若い世代の彼女は、うしろ向きでははなく、輝く将来に目を向けた生き方に、祝福を願ったことです。
直方には仕事で一度行ったことがありますが、閉山してしまった今は、もう石炭の採掘も「ボタ山(石炭クズを盛ってできた小山)」も過去の事になってしまっているのでしょうか。街のそこかしこに、そのボタ山がありましたが、その光景もその《匂い》も様変わりになっているでしょうか。新しい生活を始めた直方、きっと懐かしい「匂い」のある街となるのだろうと思うのです。そんな決断をして故郷の《匂い》を後にし、離れた多くのみなさんに、心からの応援を送りたいと願う、五月の連休前の私であります。
(写真上は、震災前の「陸前高田の桜」、下は同じく「陸前高の海」です)