二十四節気の一つ「夏至」です。今日は、無花果(いちじく)を食べるといいとか、栄養価の高い果物だからでしょうか。小学校の帰り道、武井さんの家の庭から道り路に枝を伸ばした無花果が、『食べていいよ!』と言っているようで、たびたびご馳走になりました。さて、こちらでは、もうとうに真夏になっていますが、関東地方では梅雨の真っ只中にあって、鬱陶しい天気が続いていることでしょうか。この時期の思い出をたぐりよせてみますと、どうしてもアルバイトに精出してしていたときのことが蘇ってまいります。北海道の会社であった「雪印乳業」が、東京に進出して来て、東京都下にも工場を作りました。八王子から立川に向かって走る甲州街道(国道20号線)から200メートルほど入った所にあった農地を、牛乳工場としたのが、1963年だったと思います。この会社に勤めていたお嬢さんを持つ母の友人から、アルバイトを募集してると聞き、渡りに船で応募して、その夏にアルバイトを始めたのです。
三ヶ月の間、遊ばないで働きました。授業料の足しにしたり、本を買ったり、実入りの良いバイトを4年間毎夏させてもらいました。200ccの牛乳瓶が45本入った木箱が、製造部からベルトコンベアーで、向こうの壁が霞むほどに大きな冷蔵庫に送られてきますと、そのラインの脇に立って、その木箱を出庫に便が良いように積み上げていくのです。もちろん、なん種類もの牛乳がありますし、明日の天気予報によって製造計画が立てられていますから、指示は、プロの職員から出て、搬出口ごとに、これを振り分けて積んでいくのです。あの電動のベルトコンベアーの金属音と、積み上げたときの瓶と瓶の『カシャッ!』となる音が、今に至るも耳に残っています。最初の夏に、石原裕次郎の歌った「赤いハンケチ(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六、唄:石原裕次郎)」が、映画化されたり流行っていました。
1 アカシアの 花の下で あの娘がそっと 瞼を拭いた
赤いハンカチよ 怨みに濡れた 目がしらに
それでも涙は こぼれて落ちた
2 北国の 春も逝く日 俺たちだけが しょんぼり見てた
遠い浮雲よ 死ぬ気になれば ふたりとも
霞の彼方に 行かれたものを
3 アカシアの 花も散って あの娘はどこか おもかげ匂う
赤いハンカチよ 背広の胸に この俺の
こころに遺るよ 切ない影が
健康管理上、交代シフトで、何組かに分かれて作業をしたのですが、休憩時間には、だれかが歌い始めると、この歌をみんなで歌ったのを懐かしく思い出します。バイトの時に、ヒゲの生えた大学生たちが、子どものように声を合わせて大合唱していたのですから、あの時代の学生は純情だったのでしょうか。「北国の春」が終わって、真夏になっている北海道の様子を思い描き、旅行も恋もできない淋しさを、「遠い浮雲」を「しょんぼり観て・・」、紛らわせていたのです。そういえば、事務所に、みんなのお気に入りの女子事務員がいて、彼女の「おもかげ匂う」ポケットにラブレターを忍ばせたことがありましたが、それも実りませんでした。
仕事を終え自転車に乗って、空が明けそめようとしている中を、家まで帰ったのですが、ある時、警察署の前で、警官に呼び止められました。タバコを吸って、人通りのない道を走っていたのですから、職務尋問でした。『バイトの夜勤の帰り!』と言ったら、納得したようでした。夏休み前からバイトを始めて、平常な生産に戻る頃までしたのです。『牛乳は好きなだけ飲んでいいから、瓶をわらないでね!』、『よくやってくれるね!』、『来年も来てくれますか!?』と言ってくれた主任の宇田川さんは、今もお元気でしょうか。今はこの会社名が消えてしまいましたが、美味しかった、「スパー牛乳」や「チョコレート牛乳」の味は、まだノドが覚えているのです。さあ、いよいよ盛りの夏の到来ですね。こちらから、《しょんぼり》して日本の空の夏雲でも思っている、そうお考えでしょうか?いいえ、暑さにもめげずに張り切っていますのでご休心のほどを!