これまで、いろんなことのために、「決断」をしてきました。それらは、進学、就職、結婚、転職、退職、海外渡航などです。まさに人生の節目での大切な決断でした。振り返って想いますに、それらの決断は、自分の意思だけではなく、何か人生全体に働き掛けている大きな力や意思の介入によった様に思えるのです。ですから、それらの決断は、的確で正しかったと思えます。
でも、ずいぶん短い人生だと思えてなりません。力のあふれていた時期に子育てをし、与えられた仕事や事務や責任を果たせたのです。現役から退いて、悠々自適な時を過ごしながら、瞬きの間の出来事で、その都度出会った人々や機会や場面が、思いの内に蘇ってきます。二度と帰ってこない日々が、いや〜懐かしいものです。
中学の一級上に、若山牧水の孫がいました。話をしたことがありませんでしたが、国語を教えてくれた教師が、彼の担任で、よく牧水の短歌を紹介してくれました。その一つが、
白鳥は哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
です。この短歌は覚えていて、空で誦むことができるのです。もう一つは、
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
ですが、これは、中学生には好ましくない教材で、清んだ日本酒の旨さを教えたのですから、この教師は、生臭坊主だったのです(本当に、隣町の住職でした)。驚くのが、この短歌は、牧水二十四歳の時のものです。人生の晩期、六十か七十でもあるかの様な、そんな年齢で詠んだと思われてしまいますが。そんなに若い頃から、酒の旨さに心を酔わせて、短歌を詠んだのですから、驚かされます。
牧水は、四十二歳で没しています。心を酔わすことができても、身体は受け付けなかったことになります。この牧水は、漂泊の歌人で、景色や人を求めて旅をしたのでしょうけど、その土地その土地の銘酒を認めての旅だった可能性は大きそうです。この私は、この短歌を詠んだ牧水の年齢のもう一年上の<二十五歳>で酒をやめることができました。自分の意思だけではなく、人生にに働きかける大いなる力に助けられてだった様に思えてなりません。
あの年齢から、ほぼ五十年が経ちます。ちょっと単純計算をしてみましょう。一年が、365日で、毎日ビールを二本ずつ飲んだとしますと、<36500瓶>になります。現在、ビール一瓶の値段を<300円>とすると、《21900000円》になります。いやー、この《2000万円》の数字には驚かされてしまいます。『塵も、いえビールも飲まれれば山となる!』、と言ったところです。
最近、酒害で苦しむ人が、地球上に、数億人もいらっしゃると聞きました。そんな中で、酔わなくても、心が痺れなくても、自分が生きて来れたことは、ただ感謝に尽きません。あの《二十五の決断》は、確かに正解だったのです。酔って中野坂上駅や阿佐ヶ谷駅や高尾駅のプラットホームや、あの中洲の街、柳ヶ瀬の街をフラフラしていた日々も、しっかり覚えています。
(青空を漂う「白鳥」です)
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