ソウルの教会を、初めて訪ねたのが、1974年8月15日、日本が無条件降伏をした記念日で、韓国では「光復節(日本支配から解放された記念日です)」で、暑い夏でした。漢江の中洲にあった、広大な汝矣島(ヨイド)漢江公園を会場にして、「世界キリスト教大会」があって、それに参加したのです。会場となった用地は、まだ未整備の段階で、漢江の流れの淵でした。母教会の兄弟と連れ立っての参加だったのです。当時、午後11時過ぎは、外出禁止令が出ていて、戒厳令がしかれていたと思います。
日本から本田弘慈牧師が団長で、かなり多くのみなさんが参加されていましたが、私たちは、個人参加で、ユースホステルに宿を取っていました。その会場には、100万人が集まったと言っていました。多くの説教者が壇上に立って、賛美や説教や祈りが、繰り広げられていたのです。大会途中に、強雨が降り始め、日本からの参加者は浮き足立っていましたが、韓国のみなさんは、コンクリートの上にじっと座って微動だにしなかったのが印象的でした。
この大会が終わって、永楽教会に移動してから、会堂の中で、重大な報告がありました。日本人が、朴正煕大統領を狙撃し、夫人の陸夫人が亡くなられたというのです。それで外出禁止で、ホテルに留まるようにとのことでした。後に、狙撃犯が、北朝鮮系の在日の男だということを聞いたのです。ちょうど長女が産まれて間もない時だったのです。無事に帰国できてホッとしたのを覚えています。
それ以後、何度かソウルを訪ねたことがあります。ある教会の長老さんの家に招かれた時に、日本語教育を受けられた世代の方でした。歓迎されて、美味しい朝鮮料理をご馳走になり、話が弾む中で、次のようなことを話されたのです。
『韓国人は、正しく生きてる時には命をかけてでも仕えていくことができます。ところが一旦、不正を行なっていることを知ると、手の平を返すように反逆するのです。日本では部下と上司の繋がりというのは、人と繋がっているのです。良くても悪くてもかまいません。正しくても正しくなくてもいいのです。にその人の行いや考え方というのは構わないのです。田中角栄が不正を行なっても、部下が、その不正を糾弾することはありません。ところが朴大統領に不正が露見した時に、黙っていることができずに、銃を手にとって撃って、制裁を加えたのです!』とです。
朴正煕大統領が、KCIAの責任者で、古い友人で側近の部下だった人物によって、1979年10月に銃撃され、射殺されてしまいました。この方が言われたことは、日韓の比較論で、実に興味深かったのです。彼は日本人と朝鮮民族の違いを語られたので、大変興味をそそられたのです。明智光秀と織田信長との一件を思い出させられる話でしょうか。ある人たちは、『◯◯先生のことだから、少々の失敗をしても、まあ仕方が無いか!』と思ってしまうのでしょう。人脈とか派閥といった強い絆に、太い感情のパイプでつながっているからです。朝鮮民族のみなさんは、「正邪」、「良悪」と言った規準で人とつながるのだということを学んだわけです。
今、イスラエルとハマス(これは国を代表するのではなくテロ集団です)との戦いを見ていて、ユダヤ人とアラブ諸国との、民族的な違いからの長い抗争があっての今回の戦争ですが、イサクとイシュマエルの異母兄弟の対立、ヤコブとエサウのいざこざ、ユダヤ教とイスラム教の違いですが、この両者の祖は、アブラハムです。彼らは、神さまに導かれて、カルデヤの地から「渡って来た者たち(ヘブライ、ヘブルの意味は民によって仇名されたことばです)」だったのです。
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同じ父の子の対立が、今日の抗争の元であることを考えると、「相違」を超えていけない、人間の弱さがあるのでしょうか。文化や慣習や伝統の違いもあるようです。クリスチャンになって、血のつながりを超えて、霊的でしょうか、同じキリスト信仰を持つ者が、兄弟姉妹という関係に入れられているのです。
これまでロシア人、タンザニア人、韓国人、中国人、フィリピン人、台湾人、アメリカ人、アラブ人と言った人たちと、私は関わってきても、文化や慣習を超えた、同じ信仰の交わりに入れられた者同士の親密さがあったのです。それぞれの民族性の違いを超えていける、一致点で驚くような交わりがあったと思います。『あなたのために祈りますね!』と言ってくださった方もおいででした。
『我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり。 (文語訳聖書 第一ヨハネ1章3節)』
「父なる神」と「子なるイエスさま」との交わりの間に、私たち信じる者の相違を超えての一致の交わりがあるのは、素晴らしい特権ではないでしょうか。
( ウイキペディアによる現在の「ヨイド漢江公園」の写真です)
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