.
2018年、華南の街のお借りしていた家で、家内の体の具合悪くなったのです。隣街にあった養老院に、牧師子女で長く医者をされてきた老姉妹、そのお父さんが、旅人や貧しい隣人たちに宿や食事を提供していたのを見て育った老クリスチャンでした。同じような信仰的な背景のみなさんを訪問し、交わりをして、帰宅した後でした。ちょうど教会の降誕節が終わったた直後だったのです。
ちょうど訪ねてくださった姉妹が、家内を見て、『すぐ病院に行きましょう!』と、数年前に、家の近くに開院した、省立病院の別院に、車で連れて行ってくださったのです。しばらく待って診察していただき、担当医師が、『精度の良いMRIが本院にありますから、そちらに行って撮ってもらってください。』と言われ、2019年1月元旦に、本院に行ったのです。
そこでMRIをしていただいて、その結果を診た医師が、即入院という診断をしてくれました。緊急を要したのでしょう、家内は、それに従ったのです。一週間経って、主治医に私が呼ばれて、診断結果を話してくれ、『重大な病ですから、直ぐに日本に帰国して、大学病院で診てもらい治療されたらよいでしょう!』と告げられたのです。
直ぐに飛行機のチケットを予約し、翌朝、入院先から直接、飛行場に、その姉妹に連れて行ってもらったのです。もちろん、旅行用のスーツケースには必要な物を入れて、帰国準備はしてでした。伝道師さんたちとその他の兄弟姉妹がたくさん見送りに来てくださったのです。
その姉妹が、チケットをビジネス席に換えてくださり、搭乗前の空港付医師の診察を受けましたら、「搭乗不可」を言われたのです。仕方なく家に戻って、翌日の便を予約していただきました。家内にとっては、家に戻って、必要な物を、自分で選ぶことができたのは幸いだったのです。一番は自分のベッドで眠ることができたことでした。
慌ただしく翌早朝、空港で診察を受けると、搭乗許可が出たではありませんか。あちらこちらと、みなさんが手を回して下さっていた結果だったかも知れません。大勢の見送りの兄弟姉妹が、また来ておられて、挨拶を交わして搭乗したのです。みなさんは、家内と泣き別れでした。彼らは、家内の病状を告げられていたからで、二度と会えないと思って泣いていたようです。知らなかったのは家内だけでした。
成田には、長男が迎えに来てくれていて、栃木の友人のご両親が住んでおられていて、空き家になっている家に連れて行ってもらったのです。二日後に、獨協医科大学病院に、省立病院の紹介状を持って診察をお願いしましたら、総合診察科での診察の結果、即入院ということで、呼吸器アレルギー科病棟に入院になりました。入院中、この家を貸しくださったご夫妻の助けは溢れるほどでした。
診断結果は、第四期の肺がんでした。余命半年とのことで、治療が始まり、保険扱いになったばかりの免疫力を強める新薬の「キイトルーダー」の投与が始まったのです。病院では、放射線治療を勧めてくれたのですが、子どもたちも家内も、放射線治療は希望しないむね、何度か持たれた主治医との面談で、主治医に伝えてありました。食べられず、毎日採血の連続で、家内は弱くなっていく一方でした。ついに頸部から栄養剤を注入する手術をしたり、体中が管で繋がれていたのです。
子どもたちに、母親の病状や余命のことを伝えましたら、直ぐに、4人が家族を連れて駆け付けてくれました。ちょうどインフルエンザの大流行の時でしたが、一人のN看護師さんのご好意で、特例の面会が許されたのです。この方は、微に入り細にわたり、懇切に看護して下さっり、家内の慰めと励ましをしてくださったのです。『今夜が峠!』と言われる中、じょじょに回復をみせ、管の一本一本が外されて行ったではありませんか。家内は快方に向かい、家内が歩いてトイレに行く様子を見かけた看護師さんが、『アッ、歩いてる!!!』と驚き喜んでくれたそうで、もち直したのです。それで4ヶ月後に退院の運びとなったのです。
.
.
その年の暮れには、また子どもたち家族が、再び全員で集まることができ、たっての家内の願いの「家族写真」を、近くの写真館で撮り、日光のオリーブの里に一泊し、日曜日でしたので、集会場をお借りして、家族で礼拝を持つことができ、家内は、大喜びでした。
『お母さん、世界中でお母さんのために祈っているよ!』と、子どもたちが言い、友人知人、主にある兄弟姉妹、家内の姉妹たち、私の兄弟たちからの祷援があったのです。県北の教会に牧師夫妻も、熊本の友人夫妻の教会の朝の祈祷会でも、祈りの手を上げていてくださると言ってくださっていたのです。華南の街で出会って、今は帰国されている日系企業マンの奥さまが、加賀や日田などの銘菓を送って激励してださったり、激励の便りをくださるみなさんがおいでです。
家族にも勝るとも劣らない愛で支え続けてくださっている中国の教会のみなさんの愛と犠牲は、実に大きいのです。何組も何組も、わざわざお見舞いに来てくれました。漢方薬や健康回復の食べ物、教会の愛兄姉の愛を運んでくれたのです。昨年の暮れにも、おいでくださったのです。『あなたたちは「一家人(家族)」だから!』だと言ってです。
家内の現実の病状を見るにつけ、信じられないほどの回復に、ただ主を認めることができたのです。それでも、一喜一憂、強い薬の投与の連続でしたから、体への損傷や副作用は大きいのです。あのキイトルーダーの投与の後遺症が現れて、身体に発疹が出たり、激しい痒みがあったり、なかなか太れない状況にあります。それで時々、シャワー時に、泣くこともあったようですが、家内は弱音を吐かず、主に信頼しての病との対決姿勢は素晴らしいと思っています。
自分のことだけしか見えていないのではなく、ラジオ体操に出かけられるようになって、散歩もでき、駅のコンコースの街中ピアノを弾きに出かけられるようになってきています。この街に、主をあがめる賛美で満たしたいのだそうです。近所のみなさんやデーケアー仲間、そして近所のみなさん、訪ねてくださるみなさんへの思いを忘れていないのです。『あの人、どうしてるかしら?』と思うこと仕切りです。亡くなられた方のご家族や、弱くなったり、入院したりしているみなさんへの思いも強いのです。
まだ、不安材料は溢れていますが、主への期待だけは満ち続けています。それでも、時々、『そろそろかなあ?』との思いがやってくるのです。病まなければ、その当事者の闘いの厳しさは分かりません。死と対峙しながら、もちろん誰もが、そういったところにあるのですが、今は、漢方医でもある、県の病院の医師に、漢方治療を受け始めています。総合的な診察をしてきださり、ことばによる激励もあって、感謝でいっぱいです。
この医師は、「メディカル・カフェ in 宇都宮」と言う、癌と戦う患者さんと、医療従事者、ボランティア、家族の交流会にもやって来てくださっている方なのです。何よりも、『我はエホバ、汝を癒す者!』とおっしゃる主がいらっしゃるのです。その同じ信仰を持つみなさんからの応援を肌に感じながら、春の到来を待ち望んでいる今であります。創造主や多くの兄弟姉妹、友人たち、家族に感謝の五年の毎日です。
(華南の家の庭に咲いていた花、今咲く胡蝶蘭、宇都宮のおりおん通りです)
.