香り立つ珈琲を

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 コーヒーが、まだ漢字混じりのアジア風の香りのする「珈琲」の時代から飲み始めて、ずいぶんになります。初めて喫茶店という店に入って飲んだ珈琲は、ただ苦いだけでした。香りも、それほど気持ちを落ち著かせてくれるような芳香ではなかったのです。

 いつでしたか、宣教師さんと一緒に珈琲店に入った時に、この方は、白湯を一杯もらって、珈琲をそれで割って飲んでいたのです。American の飲み手で、日本の珈琲店のものは濃過ぎたようです。高級種のBlue mountain を、この方の唯一のこだわりにしておいででした。

 華南の街にも、珈琲店ができ始めていく中で、時々、スターバックスに入ったことがありました。「星巴克(xīng bā kè )」と看板が出ていて、木造建築で、とても雰囲気があって、居心地が満点な空間でした。

 その店で、主だった客層は、アメリカや日本と同じで、学生さんたちでした。テーブルにパソコンを置き、あのアメリカの大学街のスタバと同じスタイルで、居心地よさそうに過ごしているのです。アメリカ文化の象徴といった風景でした。

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 この数年、時々行くのが、名古屋発のコメダです。通院日に、好數値の出た時に、《ご褒美コーヒー》をしたくなって行くことが時々あります。珈琲を飲み始めた頃には、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいました。もちろんインスタントコーヒーでしたが、やはりコーヒーは、豆をミルで粉砕したものが最良で、それを無糖でミルクなしの straight で飲むのが美味しいことを知って以来そのままです。

 このコーヒーですが、飲むことを勧める論と、コーヒー毒論の二論があって、論陣張って闘わせているのです。身体的な健康と精神的な健康の健康論からの論戦です。どちらに軍配をあげたらいいのか、右と左に振られてしまうのですが。最近、お昼には、ミルク割りの家内と一緒に飲むようにしており、美味しそうです。

 何事も、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、一杯のコーヒーで満足でいられるのです。父の世代の歌でしょうか、1939年(昭和14年)の春に、「一杯のコーヒーから(作詞が藤浦洸、作曲が服部良一)」が歌われていました。日中戦爭が始まって1年半ほどの頃です。

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一杯のコーヒーから
夢の花咲くこともある
街のテラスの夕暮に
二人の胸の燈し火が
チラリホラリと つきました

一杯のコーヒーから
モカの姫君 ジャバ娘
唄は南のセレナーデ
貴女と二人 ほがらかに
肩を並べて 唄いましょう

一杯のコーヒーから
夢はほのかに 香ります
赤い模様の アラベスク
あそこの窓の カーテンが
ゆらりゆらりと ゆれてます

一杯のコーヒーから
小鳥さえずる 春も來る
今宵二人の ほろにがさ
角砂糖二つ入れましょうか
月の出ぬ間に 冷えぬ間に

 こんな歌が流行ったのには、驚かされますが、やがて戦争の泥沼にはまり込み、もう引き返すことができないまま、太平洋戦爭が始まり、敗戦を迎えるのです。今では街中にではなく、郊外に小じんまりした店があって、ノンビリできるのもいいようです。

 先週は、お隣の佐野まで、「ふれあいバス」で出かけ、スタバではありませんでしたが、素敵な香りの立つcafe を飲んだのです。十數年ぶりに、この店に入りました。けっこう美味しい一杯で、まだ国內は平和で、コーヒーを楽しむことができました。そんな空間で、ゆったりと過ごせることが長く続くようにと願う春めいた二月の一日だったのです。

(ウイキペディアによる珈琲、華南のスタバ、ウガンダの有機コーヒーです)

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