『その後われ吾靈を一切の人に注がん 汝らの男子女子は預言せん 汝らの老たる人は夢を見 汝らの少き人は異象を見ん 。(文語訳聖書 ヨエル2章28節)』
どこへ行っても、どなたと会っても、私たちの世代が語る話題は、過ぎ去った時のことばかりです。過去にあった出来事ばかりを語ったり、書き記したりするのは、どうも年老いて来たことの徴(しるし)なのでしょう。自分のブログも、老いを意識していない頃とは、主題も内容も、過去の出会いや出来事ばかりのようです。
聖書に、預言者ヨエルが予言しているのですが、「老たる人は夢を見」と言っています。本来、若者が、星雲の志をもって、溢れるほどの可能性のある未来に目を向けて、様々に夢を描いては、それを語り、記し、その夢の実現に向かって生きたのです。
それは、自分にもあったことですが、今や年老いて、曜日感覚も鈍くなってしまっています。テレビなしの生活で、番組にも誘われないわが家では、曜日の一日一日が、ゴミの種分けでの曜日や図書館行きのための開館日などだけが気になるだけなのです。
かつて、ここ下野国の人たちは、海外雄飛など考えてみることなどまったくなかったのでしょうね。また京の都上りなどを願うことだってなく、幕末になってから、やっと長崎や横浜に学びに行こうと、若者たちが、わずかに現れたのでしょうか。庶民は、まず無理で、武士階級か豪商か豪農の若者たちだったわけです。
江戸時代の寺小屋に学んだ子どもたちでも、どんなに優秀であっても、藩黌(藩の学校です)で学ぶことは、稀にはあっても、京や江戸に遊学するなど考えられないことだったに違いありません。
十七の私は、南半球の南十字星を見上げられる南米に行きたかったのです。アルゼンチンは、憧れの地でしたし、それが可能でした。と言うよりは、未知の世界を知りたかったのか、現実逃避だったのか、不安定な年齢期の麻疹のようなものだったのでしょうか。
与えられた仕事、奉仕の機会に従って生きて来て、家内の病気を期に、退職しての今の生活は、終り方としては思い定めた通りではなく、中途で終わったようにも思えますが、一仕事をし終え、もう行程を走り終えて、人生のゴールへの助走をしているような感じがしています。「人生至る処青山あり」と言われ、青山に向かって歩み続けて、今や、その山陰に歩を進めているのでしょうか。
聖書は、『夢を持て!』と語り掛けています。『年少きものもつかれてうみ壮なるものも衰へおとろふ。然はあれどヱホバを俟望むものは新なる力をえん また鷲のごとく翼をはりてのぼらん 走れどもつかれず歩めども倦ざるべし。(文語訳聖書イザヤ40章30~31節)』
未来に向かって、望みうることが、まだあると言うのです。
『ヤコブの家よイスラエルのいへの遺れるものよ 腹をいしより我にはれ胎をいしより我にもたげられるものよ 皆われにきくべし。なんぢらの年老まで我ははらず白髪となるまで我なんぢらを負ん 我つくりたれば擡ぐべし我また負ひかつ救はん。(文語訳聖書 イザヤ46章3~4節)』
もし足腰が弱ってしまったら、主なる神さまは、『背負う!』と言ってくださるのです。どこに導くのかと言いますと、
『彼は萬物を己に服はせ得る能力によりて、我らの卑しき状の體を化へて、己が榮光の體に象らせ給はん。 (文語訳聖書 ピリピ3章21節)』
「栄光」へと導いてくださると言うのです。十字架によって贖われた私を、十字架の主と同じ「栄光」の姿に変えてくださり、永遠のいのちを与えてくださるのです。ですから、老いは、人生の終点ではなく、輝ける「栄光」への Step なのです。『さあ夢を見ようではないか!』と、私を造られ、導かれ、負われる主が言っておいでなのです。
(窓際で一生懸命咲いてくれている胡蝶蘭です)
.