.
中国で、電車やバスで、中程度の移動を何度もしました。上海やアモイなどを訪ねた時の駅舎もバスターミナルも、巨大で驚かされたのです。大きな街から四方八方に路線が広がり、中都市に行くと小さなターミナルがあり、さらに田舎に行きますと終点には、バイタクがいて、もっと田舎に行くことができたのです。とても合理的な輸送環境でした。
どこで電車やバスを待っていても、列はできていますが、日本の様ではないのです。少しでも並ぶ間隔が空いていると、スルリと入り込んできて平気でいるのです。ドアが開くと、列が崩れて、われ先に入り込んでいきます。下車の人にお構いなく乗り込んでいくのが通常見られる光景なのです。
まず日本に見られる様な整列乗車の方が、世界では珍しいのではないでしょうか。では、日本人は、どうしてこれができるのでしょうか。社会心理学者の山岸俊雄氏(北大・社会心理学者)は、『何故に日本人は列に並べるのか?』と言うと、これを「制度的信頼」の差であると説明します。
『私たちが並ぶのは、隣の人を愛しているからではありません。「電車は必ず来るし、全員乗れる」という資源の安定性。「割り込んだら駅員や周囲に注意される」という周囲の目。この2つがあるからです。これを「安心社会」と呼びます。』と評しておいでです。
安心とは逆に、列の先に死があった、ナチスの収容所行きの列車に乗り込む列、強制的に並べさせられた列がありました。虚弱な老人や子どもは「死」へ、使えそうな者には「生」が振り分けられたために、列に並ばされたです。無邪気に並ぶ子どもたちの様子が映った動画を見たことがあります。何と 残酷なことかと思わされたのです。
屠場(ほふりば)に引かれていく牛が、列の先に、死の匂いを感じるのでしょうか、なかなか進まないで拒んでいる様な場面も見たことがあります。それとは逆に、羊は、死を察知することがなく、戸惑うことも拒絶することもなく、ただメイメイと従順に並んで進んでいたのです。
日本人の私たちは、並んで秩序を守る様に、子どもの頃から要求されてきたと思います。『前へならえ!』、『気をつけ!』、『休め!』などの号令で、そうする様に教育、訓練されてきました。列を乱して、自由にしていた次女が、『〇〇さん!』と先生に注意されていたのを見聞きしたことがあります。強制力への無邪気な反抗だったのでしょうか。自由でいたかったのでしょうか。
私の家内は、保母をしたのです。クラスごとに発表会があり、あるクラスを、一つの整えられた集団に作り上げて、乱れることのない様に統率されていたそうで、高い評価を受けたそうです。ところが家内のクラスは、自由に楽しそうに動いていて、幼子らしく行動をできる様にしていたので、統率できていない指導だと言われたそうです。軍隊の兵士の様な園児と、幼子らしく動くクラスと、どちらが素晴らしいでしょうか。
わが子が、そう言った生き方ができるのを、私は『いいな!』と思って眺めていたのです。幼稚園の年齢の子が、先生の号令で、和を乱さないでいられる方こそが、おかしいと思っていたからです。次女のいる所から列が乱れていたのです。親は子に似るにでしょうか、『〇〇!』と、担任や隣の組の担任にまで、よく私も注意されたのです。
一億人の日本人を、号令一つで、同じ方向に向かせて、戦争に突入していった過去を思うと、ちょっと怖くなってしまうのです。『お前、日本人だろう!』と言われて、何も反対できない一億の固まりにされて、雪崩の様に崩れ落ちて敗戦、戦争が終結したのではないでしょうか。
長男は、アメリカの高校と大学に行って学んだのです。その最終場面が、大学の卒業式でした。家内と2人で、彼の7年間の締めくくりの日に、その式に同席したのです。みんなガウンを着て、帽子をかぶって式に臨んでいましたが、卒業生が身動きもしないでいる日本の卒業式とは違って、思い思いに、そこに集まっていました。後ろの方では風船を膨らませて、それを空に向けてあげて、吹く風になびかせていたり、ザワザワしていました。でもフィリピンの大統領夫人の祝辞に、耳を傾けていた後の、そうした行動でした。
みんなが一つになっていますが、個性的に、そこにいたのです。乱していたり、反抗していたのではなく、自由さや個性が、そこにあったのでしょう。思い想いに一人一人が生きていこうとする姿が見られて、アメリカらしさを感じたのです。
日本人であって、その括りの中にいても、自分の生まれた国に拘り続けないで、もっと世界に通用して欲しいと、子どもたちに願っていました。多民族国家の中に、4人が、上の兄に倣ってでしょうか、出て行きました。どこへ行っても日本人に変わりがないのですが、自分たちと違った歴史性や文化や在り方に理解があったことは、良かったと思っています。
それでも味噌汁も飲みますし、お握りも食べ、煎餅もかじる4人だったのです。日本人であることを失ったのでも、捨てたのでもなく、もう少し広い世界で生きられていたのは良かったのでしょう。
次女の高校に、クロアチアから来ていた同級生がいました。上の兄の卒業式と、次女の卒業式が一緒だったので、3年のくくりで卒業式にも出席したのです。帰りの飛行機で、その同級生が一緒でした。彼女は、紛争の渦中の母国に帰って行くのだと、次女から聞きました。次女よりも、はるかに大人びた雰囲気を持っていたのが印象的だったのです。紛争の母国への憂慮があったからでしょうか。
長女は、学校を出て、アメリカの西海岸の会社で働き、その後、シンガポールで10年近く、日系企業で働きました。会社の人は、ほとんどがシンガポールの方で、アジア人の文化圏の中で働いていたのです。次男も、ハワイに行ったり、西海岸の街に行ったりして、結局は、日本に落ち着いて、日本の会社で働いてきています。
一列並びの列から外れて、一つの文化の中ではなく、多文化の中で学んだり働いてきた、そんな体験は、良かったのではないかなと、親として今思うのです。違った文化圏の人たちへの理解が得られたこと、共に学び働けたのは、良かったと思うのです。従兄弟、従姉妹もアメリカ人だったり、ブラジル人だったり、友人たちも国際色があったりで、よかったと思っています。
それでいて、自分の生まれ育った文化や社会や歴史の良さも、しっかり認められているのだろうと思います。「良きサマリヤ人」であって欲しいし、自分の食べ物や持ち物、考え方を、人と分け合って生きられたら、それは素晴らしいことなのではないでしょうか。聖書的な背景や価値観の中で育ってきて、自分発見ができて、個性的に今を生きているのがいいのです。列にも並べて、列から外れてもいられる自分でいいのでしょう。
(“いらすとや”のレジに並ぶお客さん、若者のグループです)
.























.