揺籃

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 1月10日の「悠然自得」に、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」を掲げました。どれほどのお姉さんが、妹が、兄が弟が、戦場に出征する兄弟を思いつつ見送ったことでしょうか。日露戦争への出征兵士の姉の心情を、正直に、そう晶子は漏らしたのです。ロシアにもウクライナにも、そんなお姉さんがいるのでしょうね。孫娘が、これまでは兄の大学進学やスポーツのことで激励していたのに、一朝、ロシアのウクライナ侵略のニュースを見聞きして、『戦争に行くの?』と母親に聞いた思いが、実に重く感じる早春です。

ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)
安しと聞ける大御代(おおみよ)
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

お姉さんだけではなく、お母さんの気持ちも忘れてはいけません。小学校の級友のお母さんが、八百屋さんの手伝いをしながら子育てをしていた姿を覚えています。白い割烹着をしていたのです。戦争で主人を亡くし、父を亡くして残された子を、懸命に育てていた姿です。

「コサックの子守唄」を聞いたことがあります。

1 眠れや愛し子 安らかに
空から月も のぞいてる
お聞きよ私の 子守歌
まどろむお前の 頬に微笑(えみ)

2 やがては旅立つ 愛し子よ
門出に手を振る りりしさよ
見送る涙が 母の夢
眠れや愛し子 安らかに

眠れやコサックの 愛し子よ
空に照る月を 見て眠れ
やさしい言葉と 歌を聞き
静かに揺り籠に 眠れよや

 「コサック」は、ウクライナの戦闘集団を呼んだ言葉で、ソ連に属していた時代にも、戦士として戦った歴史があります。戦士を産もうとしているお母さんなどいようはずがありません。コサックのお母さんも、揺籃(ようらん)を揺すりながら子守唄を歌って、幼児が平和に生きていくのを願ったにちがいありません。  4人の子を産んだ私の母も、家内も、そんな思いで育て上げていました。

 悪戯度では同じような級友が、時として寂しいそうな顔を見せていました。同級生で、空手をやっていた猛者がいました。お父さんは、有名な将軍の一族の親や叔父を持ちながら、日中戦争後も、中国に残って、部下の戦後の世話をしながらも帰国できず、中国の乾いた土の上で倒れたのです。お父さんのことは聞いても、抱いてもらうことのなかった、級友たちの父親への思慕の思いは大きそうでした。家に遊びに来た時に、私の父と話していましたが、ちょっと複雑だった様です。

 晶子ではありませんが、『君死にたもうことなかれ!』の思い、『静かに眠れ!』と揺籠を揺するお母さんの手の想いが、強く迫って来ます。剣を納める日の来るのが早いことを願う、弥生3月の初めの朝であります。

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ボルシチの国々

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  『ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラまことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。(詩篇3957節)』

 これは、世界を恐怖に陥れた、世界最初の共産主義国家の「ソビエト社会主義共和国連邦〉の国歌です。

1
Союз нерушимый республик свободных
Сплотила навеки Великая Русь
Да здравствует созданный волей народов
Единый, могучий Советский Союз!

自由な共和国の揺ぎ無い同盟を
偉大なルーシは永遠に結びつけた
人民の意思によって建設された
団結した強力なソビエト同盟万歳!

Славься,Отечество наше свободное,
Дружбы народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族友好の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

2
Сквозь грозы сияло нам солнце свободы,
И Ленин великий нам путь озарил:
Нас вырастил Сталин-на верность народу,
на труд и на подвиги нас вдохновил!

雷雨を貫いて自由の太陽は我々に輝き
そして偉大なレーニンは我々に進路を照らした
スターリンは我々を育てた――人民への忠誠を
労働へそして偉業へと我々を奮い立たせた!

Славься,Отечество наше свободное,
Счастья народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族幸福の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

3
Мы армию нашу растили в сраженьях
Захватчиков подлых с дороги сметём!
Мы в битвах решаем судьбу поколений,
Мы к славе Отчизну свою поведём!

我々の軍は戦いによって我々を成長させ
卑劣な侵略者を道から一掃する!
大戦によって我々は世代の運命を決定し
我々が我が祖国に栄光をもたらそう!

Славься,Отечество наше свободное,
Славы народов надёжный оплот!
Знамя советское, знамя народное
Пусть от победы к победе ведёт!

<コーラス>
讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ
民族栄光の頼もしい砦よ!
ソビエトの旗よ、人民の旗よ
勝利から勝利へと導きたまえ!

 これは、〈レーニンとスターリン賛歌〉であって、スターリンが原稿に赤鉛筆で推敲に推敲を凝らして作詞したと言われています。聖書には、次のようなことばが記されてあります。

 『自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。 (箴言272節)』

 自画自賛のこの国の国歌を、ソ連崩壊まで歌い続けた(死後にスタリーンが批判された後、フルシチョフが作り直していますが)のですが、たくさんの人材を粛清した者たちの成した業を知っているソ連国民が、どんな気持ちで、この歌を歌たったのでしょうか。

 現在、ロシアの国家は、スターリン時代の国家の melody を復活させて、「強い国家」を建て上げるために、人々を鼓舞しようとしています。歴史は、「大国主義」の野心は、常に崩れ去って崩壊しているのにです。

 大国志向の国は、弱小国を侵略し、吸収して、国境を拡張させていくのです。ローマ帝国もモンゴール帝国も、破竹の勢いで世界制覇をしたのですが、今はその残り滓しか残っているではありませんか。多くは、内部抗争、後継者選任の抗争で滅んでいきます(ある歴史家は、今も、なおローマ帝国の時代だと言っています)。

 その大国維持は、警察国家を設けて、言論も行動も規制していき、違反者は抹殺してしまうのです。そういった強圧的支配が、長続きしないのは、スポーツの世界でも、芸能の世界でも、いわんや政治の政界でも、結局は、〈窮鼠(きゅうそ)猫を噛む〉で、体制は内部から覆されてしまうのです。

 失敗した過去に学ばないで、過去の栄光を追おうとする男のすることを黙認し、支持してしまう民族的な欠陥は、長い唯物論の教育の結果があるかも知れません。それとは真逆で、クレムリンの中にも、篤信の基督者がいたのです。「義」や「公正」の基準を持たない人も社会も国家も、長続きはしません。

 一体、歴史を支配される主なる神さまは、今、ボルシチを食べる国々の中で起こっていることを、どうご覧になっているのでしょうか。じっと目を凝らして、義なる神が、何をなさるか、そのなさることを見てみることにします。悪が思いのままにことをなすことなどあり得ないからです。

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 『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。--しかしあなたは実際は富んでいる--またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(ヨハネの黙示録2810節)』

 まだ若い頃のことです。ソビエット連邦が崩壊する前に、東側諸国に、福音宣教の働きをしていた団体から、送られてきた機関紙に添えられていたと思いますが、薄い一冊の冊子がありました。そこにソ連国内の宗教弾圧のおぞましい記事が掲載されていました。イワンという若い兵士が、キリスト信仰の故に迫害を受けている様子が、写真も添えて記してあったのです。

 自由圏にいて、信仰の自由が保障されている私とは、まるで違う状況下に置かれている、同世代の基督者が、イジメや差別や過酷な仕事を強いられ、その上、度重ねる体罰を受けて、顔がパンパンに腫れ上がり、内出血した身体を、写真で見て驚いたのです。

 そんな不都合な仕打ちを受け続けてきた兵舎の中で、死ぬ直前に、このイワンは、天に引き上げられる経験をするのです。あのパウロが経験したと同じような、幻のうちにか、現実だったか、第三の天に引き上げられたのです。それは、殉教の日の次に、輝ける明日があり、永遠の時があることを、神さまが、イワンに知らせるためだったのでしょう。

 迫害が、まだ大っぴらに行われていた時代、平和な日本で生活していた自分にとって、ソ連国内では、こんなひどいことが起こっていたのに、慄然とさせられたのです。

 教会の主で、キリスト・イエスは、「牢」を恐れずに、『死に至るまで忠実でありなさい!」と勧めています。不正や、不義に対して、自らの信仰を貫くことを、示された時でした。

 『あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちのを与えよう。(ヨハネの黙示録210節)』

 それ以前に、こんな話を聞きました。信仰のゆえに銃殺刑に処さられる人たちが一列に並ばされていたのです。銃が構えられていた時、一人が、その処刑を恐れて、棄教して列を走り出たのです。その時、冠が天から降りてきていたのです。それを見た一人の兵士が、銃を捨てて、空いた列の中に立ったのです。その兵士は処刑されたのですが、天来の冠を被せられ、永遠の命に預かったのです。

 私たちの母教会を始めた方からだったと思いますが、そんな話を聞きした。イエスさまは、『からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 (マタイ1028節)」と仰っています。

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徴兵や志願

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『アメリカには徴兵制度がありますか?』と言う問いに、America center が次のように答えています。

 『ベトナム戦争後、いったん徴兵は終わりましたが、1980年にカーター大統領の告示により196011日以降に出生し18歳となった男性は登録することが義務づけられました。

Selective Service Systemの変遷

現在は18歳から25歳までのアメリカ国籍を持つ男性はSelective Service Systemに登録し、訓練を受ける義務があります。(5年以下の懲役か25万ドル以下の罰金)
留学生など一部を除き、国籍を持たない男性も対象となります。アメリ国籍を持つ男性は国外に住んでいても登録の対象となります。』

 ヴェトナム戦争の時期に、友人から、『兵士として従軍したら、アメリカの市民権がもらえるんだそうだ!』と言う話を聞きました。アメリカの若者が、兵役逃れで、外国に仕事を得て出かける人があったのに、外国人が、他国に戦争に関わるというのには賛同できませんでしたし、銃を取りたくなかったし、アメリカの市民権も欲しくなかったので、その話には乗りませんでした。

 次女からの chat で、ロシア系の友人がいる孫娘から母親にでしょうか、『お兄ちゃんも戦争に行くの?』と聞かれたと言ってきました。まだ子供だと思っていたのに、社会的な責任を負わなかけれまばならない年齢になったのを知って、アメリカは、これまで数多くの兵士を外国に遣わしてきた歴史のあったのを、今更ながらに思い出した Jiiji です。

 私のアメリカ人の知人で、太平洋戦争に従軍した経験のある方、父の世代の方が、『再び戦争が始まったらどうしますか?』と聞かれて、『祖国のために従軍します!』と即答していました。その理由を、『もし、自分の妻や子が不審者に殺されそうになったのを知ったとします。そこに銃があったら、その銃を手にとって、妻や子を守ります。だから、同じ思いで、祖国の防備のために戦います!』と言われたのです。

 妻と育てていた四人の子に対して、彼らに及ぶ危害について、夫や親として、妻子を守るのは、養育者の務めを負った私の責任だと思って、これまで生きてきました。娘が送ってくれた、今回のウクライナで始まった戦争に、孫を守るために、80歳のお爺さんが、bag に数枚の下着と sandwich を持参 して、戦いのために志願している、路上の様子を写した写真(上掲のものです)が添えられていました。

 『そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。(マタイ2652節)』

 侵略のために、銃を取り、海を渡った過去を持つ私たち日本は、これから起こる戦時の時に、攻撃者の前に、なすすべを知らずに傍観しかできないのでしょうか。それとも妻や子や孫や両親を、銃火から守るために立つべきなのでしょうか。悲しいかな、そう言う事態が目前に起こり得るかも知れません。

 主イエスさまが、おっしゃられたことを知っている私で、基督者でもありますが、苦渋の覚悟で、妻や孫を守るために銃を取る覚悟でいる、これが夫であり、ジイジである私の選択であり、決心なのであります。

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石川県

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 金沢は、加賀百万石、前田利家の所領だった地で、「小京都」と言われる古い日本の面影の残る街だそうです。私はまだ訪ねたことがありませんが、この街の出身で、気にかかる文人がいます。室生犀星です。彼の詩に、「小景異情」があり、その一節が次にようなものです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたい)なるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

 北陸新幹線ができた今では、3時間で行き来できますので、「遠きみやこ」ではなくなったのですが、彼の生まれ故郷の金沢は、決して、犀星にはよい思い出があって、飛んででも帰りたいような街ではなさそうで、この詩は、複雑な思いがあって作られたものであることが分かります。加賀藩の足軽あった父の子でしたが養子に出され、仏門で育てられ、長じて学びのために東京に出て行った人です。

 そう言った背景を負って生きた人は決して少なくないのです。犀星が複雑な、屈曲した思いで見ている金沢は、どんな街なのか、一度は訪ねてみたいと願いつつも、今日に至っております。江戸時代、諸国の大名の中で、最高の石高だったのが前田家、金沢藩でした。江戸、京、大阪につぐ、名古屋と争うほどの街だったからです。

 この「金沢」の地名も、金を産出した背景があっての命名で、金を鍛金(たんきん)して作る、金箔は繊細な作業であって、それが現代に継承されていて、その様子を動画で見たことがあります。どこでだったでしょうか、その金粉の入った珈琲を飲んだことがあります。金には味がなかったのですが、雰囲気はよかったかな、です。

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 前田家は、律令の行政区画の加賀、能登、越後を統治していた、北陸道の雄でした。群雄割拠の世を生き抜くというのは、大変なことだったのですが、とくに利家は、時の指導者の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の元で、武勲をあげたり、上手に世渡りをすることのできた器だったのです。磐石の百万石の藩の基礎を築いた人でした。

 前田家の庭園の「兼六園」は有名で、石川県の観光名跡です。この街は、戦争末期のアメリカ軍の空襲を免れたので、古跡などが残されていて、古い街並みもあるそうです。知人のお嬢さんが、金沢においでで、時々訪ねては、お土産の和菓子を送ってくださいます。

 現在の石川県は、人口が112万人、県都は金沢市、県花は黒百合、県木はアテ(アスナロ、ヒバ)、県鳥はイヌワシです。父の祖先が、鎌倉武士だと言っていましたので、その縁で、この県の小松市に、「安宅(あたか)の関」があり、源義経が、奥州平泉に逃れる時に、そこを通関しているのです。

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 それが物語として残っています。同行の家来の弁慶が、「勧進帳(かんじんちょう)」を読むのですが、関守には、それが偽物であるのが分かりつつも、それを見逃すのです。悲しい義経の物語に花を添え、歌舞伎の演目として有名なのです。

 

(「兼六園」、「勧進帳」です)

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青空と小麦の産地

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 一面に広がる小麦の穀倉地帯に、このウクライナの国が位置しています。聖書に、次のような言葉が記されてあります。

 『主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」創世記1213節)』

 流浪の民と呼ばれ、異邦の人たちには、「向こうの川から渡って来た者」という意味の、「ヘブル人」と呼ばれた民族です。でも、この民の族長の「アブラハム」への約束は、二十一世紀にも生きていて、私は、次の聖書のことばに従って生きています。

 『エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」(詩篇1226~8節)』

 今日まで、「エルサレムの平和」を祈ってきました。踏みにじられた街でしたが、この都は、「大王の都」、王の王の都であるからです。この王となるために、イエスさまは、人の子の姿を取られて、この世にお生まれくださったのです。アブラハム、ダビデの末裔としてです。そして、異邦人である日本人の私のためにも、十字架に、私の罪の身代わり死んでくださったことを、25歳で信じさせていただき、半世紀が経ちました。

 やがて、このイエスさまは、エルサレムにおいでくださって、「黄金の門」から入城されます。今は、天の御父の右に座しておられますが、やがてそこを立たれて、エルサレムの王座に着座なさるのです。全天全地の統治者、審判者としてです。それが私の世代で成就して欲しいと願っていますが、そうでなくても、来られます。

 このキリストを生み出した、ヘブル人、イスラエル人、ユダヤ人と呼ばれる民のためにも祈っています。今、ロシアの侵略による攻撃を受けているウクライナ。そのの大統領、ウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)氏は、アブラハムの家系なのです。

 受けた祝福への感謝のために、踏みにじられたウクライナの大地に、小麦を収穫できる季節が来るのを信じて、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」にご加護を祈ります。

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ウクライナ

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『まことに主よ。あなたは全地の上に、すぐれて高い方。すべての神々をはるかに抜いて、高きにおられます。 (詩篇979節)』

 「ウクライナ」について、「東京都立図書館」は、次のように紹介しています。

 『スラブ語で、辺境・国境地方を意味する「ウクライナ」に由来。4世紀頃から東スラブ人が定住していた地に、9世紀頃にバルト海地方からノルマン人(ルーシ人)が南下してキエフ・ルーシ公国を建国したのがはじまり。かつては、ソ連の一連邦国。国の面積は、約60.4万平方キロメートル(日本の約1.6倍)。人口は、4,241万人(クリミアを除く)(2017 ウクライナ国家統計局)。首都はキエフで、言語はウクライナ語。日本とは国交があり、交流が行われてきています。現大統領はウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)でユダヤ系です。

 それでも、この日、世界中でなされる「日曜礼拝」が、この国でも守られ、その礼拝の中で、主の名が高らかにあがめられますように。戦火の中で、万軍の主が、この国を守られ、祝福されますように。立てられた首長の上に、祝福の油を注いでください。アドナイイルエ、エホバなる神に信頼し、正しく選択し、決断することができますように。平和が回復し、歴史を支配なさる神が、平和を実現してくださいますように祈ります。

(ウクライナの国家は、「ひまわり」です)

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二の舞

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 昭和初期の日本のしたことを、国際社会は、こんな調査をしています。

 『1932年(昭和72月、満州事変の処理に関して国際連盟派遣した調査委員会。満州事変は中国によって国際連盟提訴された。中国が連盟規約第15条による総会開催を請求したのに対し、これを不利とみた日本は、現地への調査団派遣を提案し、311210日の理事会で派遣が決定された。調査団は、インド・ベンガル州総督などを務めたイギリス人のリットン卿(きょう)V. A. G. R. Lytton団長に、フランスの軍人クローデル将軍H. E. Claudel、アメリカの軍人マッコイ将軍F. R. MacCoyイタリアの外交官アルドロバンジ伯L. M. Aldrovandi、ドイツの植民政策研究家シュネーH. Schnee5人であった。調査団は229日東京着、日本政府、軍部、実業界などの代表者と接触ののち、中国へ向かい、313日上海(シャンハイ)着、のち1か月にわたり上海、南京(ナンキン)、漢口(かんこう/ハンコウ)、北京(ペキン)などを視察し、419日満州へ向かった。6月初旬まで満州で調査し、720日から北京で報告書の作成を開始した。報告書は101日日中両国へ通達され、2公表された。日本は、調査団が東京に着いた翌日の31日に、「満州国」建国を宣言させ、報告書執筆中に「満州国」を承認し、既成事実で調査団に対抗した。しかし、報告書は、柳条湖(りゅうじょうこ)事件を正当な軍事行動とは認めず、「満州国」建国も中国人の自発的な運動ではないとし、満州を中国の主権の範囲としたうえで、地方的自治政府を設け、非武装地帯となすよう提案した。他方、満州における日本の権益も承認しているが、日本政府は報告書に不満の意を表した。332月、日本軍による熱河(ねっか)作戦などが連盟加盟国を刺激し、リットン報告書の採択と「満州国」の不承認を内容とする十九人委員会の報告書が総会で採択されたため、327日、日本は国際連盟を脱退した。[君島和彦]「外務省編『日本外交年表竝主要文書 下」復刻版(1965・原書房)』

 この「リットン調査」の後、日本から全権大使として国際連盟に出席した松岡洋右は、連盟脱退を告げて、議場を去りました。そして、日華事変や太平洋戦争へ繋がっていくのです。昨日のロシアのウクライナ侵攻のニュースを聞いて、このことを思い出して、調べ直してみたのです。

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 ナチスドイツも、ヨーロッパ諸国に軍を進め、いわゆる「第三帝国」建国に野望を剥き出しにした訳です。独裁者は、人気取りにために、逆に人気を失う策を講じて自滅していく運命にあります。私たちに責務は、過去に学んで、同じ轍を踏んで、二の舞をするような、愚かな道を再びたどらないことなのでしょう。

 悪しきものに inspire (霊感されて)しまうのでしょうか、常軌を逸した決定を下して、自国民に塗炭の苦しみを味合わせてしまうのが独裁者なのでしょう。いつでしたか、独裁者の顔写真を掲げた合成写真を見たことがありました。その多くに、 が書き込まれて、自滅、報復、処刑されていました。哀れな結末が見えてると、警告したいものです。

(「昨日のキエフ(AFP)」、「リットン調査団」による検証、チャップリンの「独裁者」です)

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どうなる

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 「理想の国」の建国を目指して、コロンブスの発見したアメリカ大陸に、メイフラワー号が、イギリスのプリマスから船出をしたのが、1620年9月16日でした。この船は、マサチューセッツ州プリマスに、11月21日に着きました。

 この船に乗った人たちが、その理想を書面にしています。いわゆる41人によって署名された、「メイフラワー誓約」と呼ばれるものです。自由を求めてやって来た人々の理想の上に、「アメリカ合衆国」が建国されたのが、1776年7月4日でした。

 イギリスを出港した人で、無事に目的地に着いたのは53人で、航海中病没した人が半分近くいたのです。そんな困難を経て、国が作られて行ったわけです。そんな理想を掲げた国から、戦後、この国から送られた ” LALA物資 ” の脱脂粉乳を、私たちの世代は飲ませて頂きました。

 そればかりではなく、この国からやって来た教育者と医者が建てた学校で学び、この国からやって来た宣教師から学びながら、その事業を受け継ぎました。また子どもたちは、この国で教育を受けました。家内の家族は、終戦後、近くにいたアメリカ人の宣教師家族と親しく交流をし、家内の姉たちは、この国の方と結婚し家庭を持ちました。義母は、やって来た宣教師のみなさんに、《ございます!》の日本語を教えたのです。

 悲しい戦争が、日米の両国間に過去にありましたが、<喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)>で、恨みっこなしで好いのでしょう。中学生の時、国分寺名画座で、アメリカ映画を食い入るように観ました。片方の脳では、国粋的な考えを持とうとしているのに、ずいぶん矛盾した時期を通過していました。

 とくにジェームス・ディーンの出演した映画の三部作(理由なき反抗、エデンの東、ジャイアンツ)は、何度も何度も観直しました。敗戦の貧しい日本と繁栄のアメリカとの落差の大きさに、青年期前期の私は、これも複雑な思いでいたのです。

 これまで出会ったアメリカ人は、みんな親切で愛に溢れていました。過去の経緯など溶けて無くなってしまう様にしてでした。世界中で、難民が出たり、孤児がいたりすると、受け入れ養い育てています。私の次女の義理のお母さんは、未婚の母の産んだ子や、事情のある幼児を、何人も何人も育ててきた人でした。そう言った優しさを、この国の人たちは、一般的に持っているのです。

 この国の大統領選挙は、日本の場合と違うのです。そのためのテレビ討論会が行われていますが、なんども観続けてきましたが、何か後味が悪いのです。互いに、相手をけなし、醜聞を取り上げ、過去の失敗を糾弾するようになってしまい、驚くのです。

 「建国の夢や理想」、その夢を引き継いできたアメリカ国民の代表として、そんなことで好いのかとしきりに思いました。繁栄の富を、海外の必要のために捧げ、医療や教育や善行のために、驚くほどの数の人材を派遣し、多くの宣教師を派遣した国なのに、残念でたまりません。自分が何をするかの政策論争を忘れているのでしょうか。

 日本の武将は、戦場(いくさば)で、自分が誰であるかを名乗り合って、戦ったほどに、潔かったのです。その「潔さ」を微塵も、あの討論で聞く事ができませんでした。あのアメリカはどうしたのでしょうか。あの建国の父たちの夢や理想はどこへ行ったのでしょうか。

 これからのアメリカは、世界のリーダーとして、「良心の実行者」としての責務を果たす事ができるのでしょうか。経済や軍事のリーダーであるよりも、国としての品格のリーダーであって欲しいものだと、願うばかりです。

 ウクライナへの侵攻で兵を、国境付近に集結していたロシアが、ついに国境を越えて軍を進め始めてしまいました。アメリカは、” NOを貫いています。日本が、満州を侵略した時も、ロシアが朝鮮半島の三十六度線を越えようとした時も、北ヴェトナムが、ソ連の援助で、南ベトナムを攻めた時も、イラクがクウエートを侵攻した時も、同じように、アメリカは、「世界の警察」として介入してきました。

 独裁者を許してしまう背景には、秘密警察の恐ろしさがあるのでしょうか。それともウオッカの飲み過ぎで、正しく思考したり、判断したり、決定できなくなってしまったのでしょうか。いつも前線に立つのは、若者たちです。『人類は、過去に学ばない!』、そのままでいるのでしょうか。

 風見鶏(かざみどり)のように、傍観者ではなく、日本も、「義」に立って、正義が行われるようにして欲しいものです。対面や経済よりも大切なものがあるからです。ゴグやマゴグに関わる、旧約聖書に預言が、成就していくのでしょうか。ウクライナの遥か向こうに、1948年5月14日に建国された、「イスラエル共和国」があります。教えてくださった宣教師は、やがてアメリカが国力や影響力を落としていく時、「万軍の主」である神が、神に選ばれた民を、直接助けるようになる、と言っておられました。そんな時代が来ようとしているかも知れません。戦々恐々、どうなるのでしょうか。

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