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1月10日の「悠然自得」に、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」を掲げました。どれほどのお姉さんが、妹が、兄が弟が、戦場に出征する兄弟を思いつつ見送ったことでしょうか。日露戦争への出征兵士の姉の心情を、正直に、そう晶子は漏らしたのです。ロシアにもウクライナにも、そんなお姉さんがいるのでしょうね。孫娘が、これまでは兄の大学進学やスポーツのことで激励していたのに、一朝、ロシアのウクライナ侵略のニュースを見聞きして、『戦争に行くの?』と母親に聞いた思いが、実に重く感じる早春です。
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり
君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん
ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ
お姉さんだけではなく、お母さんの気持ちも忘れてはいけません。小学校の級友のお母さんが、八百屋さんの手伝いをしながら子育てをしていた姿を覚えています。白い割烹着をしていたのです。戦争で主人を亡くし、父を亡くして残された子を、懸命に育てていた姿です。
「コサックの子守唄」を聞いたことがあります。
1 眠れや愛し子 安らかに
空から月も のぞいてる
お聞きよ私の 子守歌
まどろむお前の 頬に微笑(えみ)
2 やがては旅立つ 愛し子よ
門出に手を振る りりしさよ
見送る涙が 母の夢
眠れや愛し子 安らかに
眠れやコサックの 愛し子よ
空に照る月を 見て眠れ
やさしい言葉と 歌を聞き
静かに揺り籠に 眠れよや
「コサック」は、ウクライナの戦闘集団を呼んだ言葉で、ソ連に属していた時代にも、戦士として戦った歴史があります。戦士を産もうとしているお母さんなどいようはずがありません。コサックのお母さんも、揺籃(ようらん)を揺すりながら子守唄を歌って、幼児が平和に生きていくのを願ったにちがいありません。 4人の子を産んだ私の母も、家内も、そんな思いで育て上げていました。
悪戯度では同じような級友が、時として寂しいそうな顔を見せていました。同級生で、空手をやっていた猛者がいました。お父さんは、有名な将軍の一族の親や叔父を持ちながら、日中戦争後も、中国に残って、部下の戦後の世話をしながらも帰国できず、中国の乾いた土の上で倒れたのです。お父さんのことは聞いても、抱いてもらうことのなかった、級友たちの父親への思慕の思いは大きそうでした。家に遊びに来た時に、私の父と話していましたが、ちょっと複雑だった様です。
晶子ではありませんが、『君死にたもうことなかれ!』の思い、『静かに眠れ!』と揺籠を揺するお母さんの手の想いが、強く迫って来ます。剣を納める日の来るのが早いことを願う、弥生3月の初めの朝であります。
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