『兄貴にそっくりだなあ!』、私たちの体育の授業を見ていた二級上で、ハンドボール部のインターハイ優勝チームのレギュラーの先輩が、そう言ったことがありました。立教大学に進学していった方で、頭も良く、運動もこなしていた主将だったのです。高等部に進学した頃に、《運動神経が良い》と言う意味で、そう言ってくれたようです。上の兄も、運動部で活躍していました、
すぐ上の兄は、同じ学校の高等部に進学し、自分は中等部に、同じ年に入学し、兄は野球部に、自分はバスケットボール部に入ったのです。兄は、甲子園を目指していたチームのレギュラーでした。3年の夏の甲子園大会の東京都の予選で、代表になったのは、日大二高でした。その年の甲子園の覇者は、西条高校(北四国代表の愛媛県)だったでしょうか。
兄たちの学年は、ベスト16で敗退し、甲子園行きは果たせませんでした。当時、プロ野球で活躍していたのは、「球界の紳士」と言われた巨人の藤田元司投手、新人王をとった大洋ホエールズの桑田武でした。
自分は、進学した学校で、最も練習の厳しいハンドボールに入部したのです。センターフォワードでした。けっこう兄たちに似て、彼らの運動神経を受け継いでいたのかも知れません。ところが、母が、ダンプカーの車輪のボルトで、両足に大怪我を負って、11ヶ月もの間、入院生活をすることになったのです。上の兄は静岡の会社で働いていて留守、すぐ上の兄も千葉の会社で働きながら、大学で学んでいたのです。家は、父と弟と私でした。父が家事をしてくれていて、家に私がいて、父に全部を任せるわけにはいきませんでした。
インターハイにも国体にも、東京代表で出場し、全国制覇に貢献したかったのですが、休部せざるを得なかったのです。涙を飲んで、そうしたのです。その年、都立隅田川高校が優勝し、わが校は準優勝で終わったのです。インターハイも国体も、優勝候補だったのに駄目でした。その断念は、辛かったのですが、両足切断の危機を何度も超えながら、治療を受け続けている母の世話をし、家の留守を守る父を見ての決断でした。父は、会社経営をしていたので、仕事を任せて、家事をする自由はあったのですが、私の断念、決断だったのです。
それはよかったのでしょう。高校運動界の覇者になるよりは、父や母を助けられたのは、よかったのだと思うのです。それでも後になって、高校の教師になり、そこでハンドボール部を作って、全国大会に出られるチーム作りの願いもありましたが、信仰を回復した私は、宣教師の招きで献身し、伝道者にさせていただく願いが与えられ、依願退職をしたのです。
それ以前に、伝道者として、日本では勢いのよい働きをして名をなしていた方が、母の教会に来られました。男らしく日本的 で、successful な牧師だったのです。彼の後について行こうかなと思ったほどでした。スポーツ選手として願いを果たせずに、断念し、挫折者のような自分は、それを挽回したい願いが強いのでしょう。field は違えども、伝道者の道で成功者となりたいと言う願いがあったのだろうと思います。でも、主は、それを許しませんでした。
ちょっと先輩な、また同輩の牧師たちとの出会いがありました。みなさん成功願望で野心的でした。彼らと切磋琢磨して、成功街道を切り拓いていくような誘惑の機会、交流があったのですが、その交わりへの参加も、主は許さなかったと思います。
その世界で、有名な伝道者になりたい願いを、また挫かれたのです。日本精神や野心や成功願望は、挫折体験の背後に潜んでいるものなのでしょうか。成功よりも、内側に潜むものを取り扱われる必要があったようです。そして、成功願望者が陥りやすい、金銭的誘惑、成功への誘惑、名を成したいとの願い、異性の誘惑に陥ることのないような勧めが、やってくる説教者は異口同音に語って迫ることが、若い頃には何度もありました。
ただ忠実な僕であることを、主は私に願ったのです。母教会にやって来たニューヨークの聖書学校の教師が、私の頭の上に、手を置いて祈ってくださった時に、聖霊のバプテスマを受けたのです。それは一生を変える、人生計画を覆してしまう出来事でした。きっと、あのエジプトで、パロの娘の子として拾われ、育てられたモーセが望んでいた、
『信仰に由りてモーセは人と成りしときパロの女の子と稱へらるるを否み、 罪のはかなき歡樂を受けんよりは、寧ろ神の民とともに苦しまんことを善しとし、 キリストに因る謗はエジプトの財寶にまさる大なる富と思へり、これ報を望めばなり。(文語訳聖書 ヘブル書11章24〜26節) 』
あのモーセの経験を思い起こさせるような、この世の栄誉、冨、成功ではない、義への渇望、永遠への憧れ、品性の向上、同胞や隣人の救い、主を求めることの願いを、モーセーのように、二十代の悶々としていた私の思いの中に、主が入れてくださったのです。
この世の富、名誉、成功以上のもののあることを分からされたからなのです。あれは異言を語るペンテコステ体験だけの出来事ではなく、自分の実態に気付かせ、赦しを確かにさせられ、十字架を理解させ、イエスさまをもっと知りたいとの願いを起こさせ、永遠のいのちへの憧れ、献身の願いを起こさせ、自分により頼むことをやめさせた画期的な体験だったのです。
五十数年経った今、さまざまなことが、すべて益であったのだということが分かります。今は、史上驚くほどの価値で測られる選手たちの繰り広げる “ MLB “ の祭典が、始まろうとしています。でも、主が測られる価値には、次のようにあります。
“Since thou wast precious in my sight, thou hast been honourable, and I have loved thee: therefore will I give men for thee, and people for thy life.”(KJ訳 イザヤ43:4)
「あなたは高価で尊い」と、主なる神さまが、今でも言ってくださっているのです。こんな自分を、” precious “ だと言ってくださる主に、ただ感謝したいだけの、春の陽のさす窓辺の私です。
(Christian clip arts によるパウロのイラストです)
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