『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(新改訳聖書 箴言17章17節)』
先月から今月にかけて、次兄と弟とが入院していることを、先日、知らせてくれました。かく言う自分も、12月には入院加療が予定されている現状です。もう「ポンコツ兄弟」、つまり、みんな後期高齢者で、長生きをさせていただいて、ここまで[病んでは癒えて]を繰り返して、お互い励まし合っている四人兄弟なのです。
先日は、心房細動治療の様子を、「日記」に書かれて、逐一知らせてくださっていている、同病、同病院、同主治医の隣人で友人が、お茶に、家内と二人を呼んでくださったのです。和菓子や、弟さんからの病気見舞いの千疋屋の果物も出してくださり、懇切に、治療の次第を知らせてくださったのです。それは、これから受ける自分にとっては、大きな助けでした。その治療の体験記が、自分にとって大きなたあ受けになっていることから、これから受けるかも知れない治療の動きを、このブログに、書こうと思ったのです。お読みくださって、もしかの時の備えにしてくださったら嬉しいのです。
昨年の11月、夕食時に、ポトリと右手から箸が落ち、20秒ほど右腕の感覚がなく、左手で腕をさすっているうちに、感覚が戻ってきたのです。それまで、フラっとした経験は二度ほどありましたが、構わないでいたことを思い出したので、今度は、異常を感じて、近所の民生委員をなさっていたご夫人に、家内が様子を伝えました。即、救急車の出動要請をした方が良いとのことで、家内に119番通報をしてもらい、獨協大学病院に搬送していただいたのです。
同じアパートに住んでおいでのご婦人も、元看護婦さんで民生委員をされておいでで、救急車の後を、ご自分の車を運転してついてきてくださったのです。家内に代わって、付き添ってくださったわけです。その救急診察の結果、入院になりました。そんな感謝な隣人のみなさんに恵まれているのです。
入院中の最後のMRI撮影で、小さな血栓が見つかっりました。それで血液サラサラにための薬を飲み、リハビリ歩行訓練や脳トレ検査などをして、8日目に退院できた次第です。
今年の2月3日に、市の定期健診に行きました。検査の終わりに、担当医師が、心電図の検査結果を見て、聴診器で心臓の音を聞いて、『不整脈が見られます!』と言ってくれました。去年の11月の脳梗塞の原因が、血栓ができたのによるかも知れないと言われていていたのです。4日ほどして、市の健康福祉センターから職員の方が来宅され、「精密検査」をできるだけ早くする様に勧めてくれました。
それで掛かり付け医に行きましたら、簡単な血液検査と心電図で、『大丈夫でしょう!』と診断されました。素人判断で、大丈夫ではなさそうに思えて、川を挟んだ隣人で、友人に様子をお話ししましたら、同じ病状で、自治医科大学附属病院で治療していると聞き、彼の主治医を推薦していただいたのです。それで掛かり付け医に、紹介状を書いてもらって、5月31日に、自治医大に行きました。ちょっと時間的に間隔を置いてしまったのですが、急ぐべきだったと反省しております。
その病院で、血液とX線検査をして、さらに、二人の検査技師によって、ずいぶん時間をかけた丁寧な心電図を撮ってもらいました。その後の主治医の診察で、心房細動とのことで、電気ショックをすること、そしてカテーテルアブレーション治療を受ける予約をしてくれました。先ず不整脈の治療薬を70日処方していただき、その服用のp結果で、再度治療計画を立てたいと言われました。
70日経って、この10月3日の通院日に、心電図を撮りましたら、改善してないとのことで、その後、全身麻酔で電気ショック治療を受けました。そして年末に、カテーテルアブレーションを行うことになったのです。
これまで外科ばかりに罹ってきた身ですが、心臓に問題を抱えていると聞いて、これまで一瞬たりとも休まずに鼓動を打って、血液を循環してくれた心臓の働きに、『ありがとう!』と感謝して、この身体を組み立ててくださり、支えつづけて下さった創造の神に感謝したのです。今は、《もう少し》を願ってお祈りをしているところです。
上の兄は、高校では陸上、大学ではアメリカンフットボール、成人以降はテニスをし、下の兄は、高校では野球をし、弟は中学の頃から登山、高校では柔道、大学では少林寺拳法、アイスホッケーをし、卒業後、母校の体育教師をしてきておりました。この私も、高校でハンドボール、成人以降はテニスをしてきました。みんなけっこう高レベルの運動選手をしてきているのです。上の兄は全国優勝チーム、弟も全日本レベルの選手でした。
物資不足の戦中から戦後を、健康で、けっこう強い身体をいただいて、産み育ててもらってたことを、二親に感謝したことです。そして、年相応の弱さを覚える時を迎えて、通院したり、入院したり、健康管理が必要だったりの今になりました。
三十代で、仲のよかった級友を亡くしたり、恩師のみなさんを亡くしたりしてきています。《どれだけ長く生きるか》なのでしょうか、または、《どれほど意味のある年月を過ごしたか》なのでしょうか。2023年度の平均寿命は、女性が87.14歳、男が81.09歳でした。けっきょく、父の体質を継いでいる私たち4人は、みんな脳梗塞を経験してきているのです。
父は、くも膜下出血を起こした後、あまり時が経たないうちに、脳溢血で亡くなってしまったのです。あっけない死でした。そんなことで、今週、今後の自分のことについて、家内と四人の子に、文書で、自分の心構えを書き送ったのです。39歳で、次兄に腎移植をする時には、ちょっと仰々しく遺書を書いたのですが、生き延びたのです。今回は、ありうることの備えをしておこうと思って、心構えを書き送った次第です。
聖書に、『私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩篇90篇10節)』とあります。百まで生きたい願いはあるのですが、間も無く平均寿命に年齢になりますので、その心の準備をした次第です。今思うのは、不調を感じたら、早め早めに専門医の診察を受けるべきかと思っております。
娘から、こんな応答がありました。『思いをメッセージで送ってくれてありがとう。何も心配いらないね。私たちは天国へ行ける特権をいただいているからね、感謝です。その信仰をそれぞれ受けられたのは私たち兄弟にとって遺産より多くの恵みですね、ありがとう。』と、読んでいたら、もう夜が白んできました。
(ウイキペディアのイラストです)
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