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「梲(うだつ、以前は卯建と書いていたそうです)」、火災が起こった時に、延焼、類焼などを防ぐための防火壁で、隣家の境目に、これを置いています。この梲を持っている家に住めるのは、街中の商家などの富裕層であって、江戸の街の町民の熊さんやはっさんでは、この梲のある家には、どうも住むことは叶いませんでした。
もし懸命に働いて、資産を作ることができるなら、借家ではなく、持ち家を建てて住めるのです。そうすると火事が起きた時に、延焼を防げる、この梲を上げることができきて、富裕層の仲間入りができるわけです。それで、そうできないのを、『梲が上がらない男!』と言ったのだそうです。
『わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(新改訳聖書 ヨハネ14章2~3節)』
梲どころか、家を持つこともできないままで、八十路を迎えようとしている今、世間に対しては肩身が狭そうにしているとお思いでしょうか。どっこい、「永遠の住まい」があると約束されているわが身ですから、この街の一等地の “Tochigi Hills” に家を持つよりも、比べられないほどいいかなって思っているのです。
ただ、中国の友人が、海辺の丘の中腹に、大きな墓をお持ちで、ご両親を埋葬されておいでです。お母さまが亡くなる前に、家内が、訪ねては手を握り合いながらお交わりをし、背中をさすってあげながら、お祈りもさせていただいていました。お母さまが亡くなられて、その故郷で行われた教会式の葬儀に、私たちも列席させていただき、お話もさせていただき、埋葬式にも参加させていただいたのです。
その墓には、埋葬のスペースが広くあるので、そこに家内と私をお入れくださると言ってくださっているのです。ところが、私が召されたら、葬儀不要、墓不要、埋葬なしで、遺灰を、この今の家の脇を流れる川に流して欲しいと、家内と子どもたちに、十日ほど前に、文書でお願いしてしまいました。あの大海の見える丘のお墓には、埋葬はされそうにないと思います。
そんなお交わりのある夫妻が、東京に、住まいと支社の事務所を兼ねた家を持っていて、事業の展開の準備をしておいでです。先日も、中国から帰られて、息子さんの運転で訪ねてくれました。漢方の薬や食べ物をお持ちになってでした。もう何度、おいでくださったことでしょうか。大きな愛を示し続けてくれています。
この方の会社のパンやケーキを作る工場で、従業員を交えて、週一回で聖書研究会がありました。聖書からお話をして、とても素敵な時を過ごしたのです。そこに参加していた若いご婦人が、帰国するまで、何度も何度も、お米を担いでは訪ねてくださって、一緒に祈ったのです。長江のそばの村から出稼ぎで来ておられたご婦人でした。また、ケーキやあんぱんや日式食パンまで、家に届けてくれたのです。
中国のみなさんは、私たちが、家も持っていないのに、彼らの国と街に来てくれていることに驚いていました。梲の上がらない、いっぱしの男でなさそうな私を、軽蔑することはなかったのです。家を持っていたら、きっとどこにも動けなかったかも知れませんね。そのおかげで、13年も、国外で過ごすことができ、多くのみなさんと信仰を励まし合えたのは、格別な祝福でした。そんな私たちを物心両面で、今もみなさんが支えていてくれているのです。こんな特権に預かれて、幸せを噛み締めているところです。
三方を見渡せるアパートに住んでいて、静かですし、冬は暖かく、真夏でも風が吹き渡りますから、住み心地が好いのです。病院と子どもたちから遠いのが玉に瑕(きず)ですが、なにやら、通院回数が増えてきて、歳を重ねた私たち両親のことを、四人の子どもたちが話し合っているようです。今の境遇に感謝しなくてはと思うことしきりです。
(ウイキペディアの岐阜の街の「梲」、「あんぱん」です)
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