「おやつ」は、「御八つ」と書きます。gooの辞書によりますと、『《八つ時(どき)に食べたところから》午後3時前後に食べる間食。また、一般に間食のこと。 』とあります。上流の家庭のお母さんですと、『お三時ですよ!』と呼びかけてくれるのですが、母には、『なにか食べるものある?』と、その時間帯になると、聞いていたでしょうか。育ち盛りの子どもたちには、この時間、つまり、まだ夕食まで、しばらく時間があったり、学校から帰ってくる頃には、お腹が、『グーゥ!』とサインを出している時間帯です。お釜でご飯を炊いていた頃、釜の底に焦げ付いていたご飯を水にひたして、取り出し、平べったい、木製のお鉢にとって、母が外に干していました。それでいろいろな物をこしらえてくれたことがあったのです。これが「ほしいい」だったと思います。昔の人は、物を大事にしたのですね。
山奥から、都会に出てきたばかりの頃、住んでいた家の近くに小さな小屋があって、そこで小父さんが、今では、『昔懐かしい・・・!』と書いた袋の中に入れて、スーパーで売っているか、もうほとんどなくなってしまっている駄菓子屋にあるような「飴」を、板の台の上で、ひっぱたいたり、手でゴシゴシと伸ばしたりしながら、作っていました。『端っこをくれないかな!』と期待して、その作業を眺めていましたが、もらった試しがなく、行くのをやめてしまいました。キュウリやトマト、いちじくやいちご、庭グミなどが目に入ると、「収穫」の助けをしていました。いえ、盗み食いでした。あの頃の私は、いつでも空腹を感じていましたが、今の子どもたちには、「空腹感」とか「飢餓感」というのを知らないほど、物にあふれた時代に育っているのでしょうか。
あの頃、一番美味しかったのは、小遣いで時々買うことができた、「落花生」を真っ白な粉砂糖でかぶせたお菓子でした。買えるときは、小銭をポケットに入れて、跳んで行き、小さな紙袋に入れてくれたのを、こっそりと食べていたのです。実に美味しかった!よく行く、こちらのスーパーの壁に、いろとりどり、驚くほどの種類のお菓子が並んでる中に、それがあるのです。懐かしくて、月に一度くらいは買ってしまいます。こんなコーナーの光景は、こちらに来たばかりの頃は、本当に珍しいことでしたが、今では、どこに行っても、食べ物があふれていて、子どもたちが、『モグモグ!』と口を忙しく動かしています。
さて、わが家でも、今日の週末の午後に、「おやつ」が出てきました。「小豆(あずき)」を砂糖と少々の塩で煮たものに、冷蔵庫に中に残っていた、どなたかに頂いた「お餅」を焼いたのを入れて、家内が作ってくれた、「おしるこ」でした。何の期待もなかったので、驚いたぶん、なお美味しかったのです。一瞬、日本にいるような感覚に陥ったようでした。「舌鼓を打つ」とは、こういったことなのでしょうか。辞書には、『あまりのおいしさに舌を鳴らす。舌鼓を鳴らす。「山海の珍味に―」』とあります。たまには、こういった「甘味」も、心にはいいかも知れませんね。美味しい物には、「お」が付くのですね。そんな美味しい三月三十日であります。
(写真は、「おしるこ」です)