いっとき、「江戸しぐさ(仕種・礼儀作法のこと」ということをよく耳にしました。「礼儀正しい日本人」という高評価を得た私たちは、そのルーツを、江戸時代に求め、江戸の街中、特に江戸の街中で生活をする庶民が、周りの人々に「気配り」をした生き方を、そういったことばで表現したようです。そう言えば、母が、『人さまに迷惑にならないようにするんですよ!』と、よく言っていたと思います。あまり細々としたことを注意しなかった母ですが、さすがに日本の母親として、「処世術」を躾てくれたのだと思います。
この「躾(しつけ)」という文字は、実に素晴らしく意味深いのに驚かされます。しかし、漢和辞典で調べてみますと、「漢字」にはなく、「国字(我が国で作れた文字)」で、どなたかが、『身を美しく飾りたい!』との願いを込めて作字したのでしょう。町中や農村といった狭い社会の中で生きていくためには、人と人の距離が近いので、相手を気遣わないといけなかったのでしょうか、『ここまで気配りをするのか?』と思うほど、日本人は注意深く生きてきているわけです。
家族の中では、とくに甘やかされた私は、傍若無人の振る舞いがあったのですが、〈病弱〉に免じて許されていたのです。最悪のケースでした。それで小学校4年くらいの時に、多摩川の河原の土手の上で、父親に説教されました。そもときの光景も、父の表情も、いまだに忘れないのですから、肝に命じたのだと思います。それを契機に反省した私は、気配りが出来るようになったのかも知れません。それでも、結構やりたい放題だったのですが。そんな私を煙たがらなかった兄や弟には、頭が上がりません。
駅の近くで、甲州街道から少し入ったところに、「銭湯」がありました。家に内風呂があるのに、広い浴槽と、よく滑るタイルがはられていましたので、格好の遊び場でした。手ぬぐいに銭湯代を手に、近所の仲間とよく行きました。下湯を使ったり、静かに浴槽につかったりしないので、しょっちゅう怒られて小言を言われていました。それでも当時のおじさんたちは、制限内で遊ばせてくれる〈おおらかさ〉があったのだと思います。使った桶や腰掛け(これが当時あったかどうか覚えていませんが)を片付けることも教わりましたから、〈実教育の場〉でもあったのだと思います。
聞くところによりますと、江戸っ子たちが「銭湯」に、入るときは、『冷えもんでございます!』と、一声かけて入ったのだそうです。冷えている体で、お湯の中に入るので、湯加減をぬるくしてしまう無礼を一言詫びたのです。意味は、『失礼をいたします!』でしょうか。そういった「ことば」と「行為」が、集団の中で生きていく礼儀と術(すべ)を身につけていったのでした。それを聞いている子どもたちは、『そう言うんだ!』と教えられたわけです。こちらには「銭湯」はありませんので、こういった経験はないのですが、雨の日に通りを傘をさしてで歩いていますと、向こうから来る人は、江戸の街中で見られた、「傘かしげ」をしてくれます。江戸の「専売特許」と思っていたら、この町の「仕草(しぐさ)」、「所作(しょさ)」でもあるのです。まあ、相手への配慮は、万国共通でしょう。〈ニューヨークっ子〉だって、〈ベルリンっ子〉だって、きっと、そうすることでしょうね。
(絵は、『火事とけんかは江戸の華』の「出初式(江戸/明治・歌川広重画)」です)