2002年に、中国のある動物園で、鹿の赤ちゃんが生まれました。この小鹿に名前を公募しましたら、何と、「小鹿純子」と、日本名が名付けられたのです。この名前は、日本のテレビ番組、《燃えろ!アタック》の主人公のバレーボール・プレーヤーの「小鹿ジュン」からとられたものでした。この番組は、1979年から1980年にかけて、日本のテレビ(朝日テレビ系列)で放映され、若者たちに人気番組でした。この番組は、1982年に、「排球女将」という題名で、中国の放映されたのです。それは、国民的ドラマとなって、大反響を呼びます。30年ほど前の番組ですが、そのころ十代、二十代であった中国の40代、50代の女性の記憶に残るものなのだそうです。
その頃の中国は、スポーツ振興のキャンペーンがなされていて、それと密接に関係して、大人気を呼んだという、社会的な背景があったようです。当時の日本女子バレーは、破竹の勢いで、世界の王者でした。1981年、大阪で「ワールドカップ」の大会が行われました。その時、王者を破ったのが、中国チームだったのです。中国にとって、この優勝は歴史的な大きな出来事となったのです。鄧小平元主席の日本訪問で、『外国に追いつけ、追い越せ!』との経済発展が叫ばれていた時期に、中国は、まずスポーツの世界で世界一を手にしたことになります。経済でも、スポーツでも、当時の中国の《ライバル》は日本だったのです。
徹底的に相手の日本を研究して、ついに追い越す時代を、今、中国は迎えたわけです。このことがあってから数年した1985年3月から、週二回のペースで、ある日本のテレビドラマが放映されます。それが「おしん」でした。中国名では《阿信》という題で、吹き替えで放映されたのです。当時の平気視聴率(北京市)は、75.9%、最も高かった時には、89.9%の信じられないほどの驚異的な支持をえたのです。
このブームを、『日本がどうしてあの無残な廃墟から今日の経済大国になったのか。中国の経済学者、日本問題研究科はいろいろ研究しておりました。しかし、「おしん」の、まさにその生きいきとした人物のイメージを通して、日本がどうして経済大国になったのか、ということがわかりました。』と、社会学者の李徳純氏が語っています(劉文兵著「中国10億人の日本映画熱愛史」188頁)。少女時代の可憐さはもちろんのこと、、貧しさの中からの「立身出世」の成功物語、つまり『今は苦しいが、頑張ろう!』との《おしん精神》が共鳴を呼んだのでした。
日本には、同じ時代に何千もの「おしん」がいたのでしょうか。その中国版の「おしん」の自営業者のみなさんが、今日に中国の繁栄を築いてきたことになります。このブームは、中国のみならず、特に東南アジア諸国でも、同じような現象を起こしたと言われています。ちなみに、2006年には、中国の衛星放送で、「おしん」の再放映がなされています。遥か昔、中国に学んだ日本が、今や中国のモデルになり、今度は日本が、謙虚になって中国に学ぶ時が再びきてるのではないでしょうか。そんなことを思っている、四月の中旬の週末であります。
(写真上は、DVD「おしん」のカバー、下は、「燃えろ!アタック」の一場面です)