.
きっと、日本の今頃は、蝉の鳴き声も聞こえなくなって、もう秋めいてきているのではないでしょうか。先日、「十五夜」が終わりましたから、日中は暑い日があっても、そろそろ虫の音だって聞こえてくるかも知れませんね。海の向こうから、『素晴らしい季節がまたやってきた!』と、喜ぶ声が聞こえてきそうです。もちろん、暑かった夏だって、やってくる寒い冬だって、それぞれに素晴らしいのですが、秋がことのほかに素晴らしいのは、景色の中に見る色彩が、真っ青な抜けるような空と透徹した空気の中で、際立ってくるからではないでしょうか。
中部山岳の山奥に生まれて、父に伴って上京し、再び古里に戻ってきて、四人の子育てをしました。美味しい葡萄や桃やリンゴの獲れる里から高原を車で走って、さらに山深い林道を抜けたことが、秋にはよくありました。細くて険しい道でしたが、その秋の景観は息を呑むほどに素晴らしかったのです。晩秋になりますと、紅葉が渓谷いっぱいにあふれて、渓流にまで押し寄せていました。そんな山里に、鄙びた温泉があって、落ち葉を肩に受けながらの露天風呂は、秋色の贅沢三昧だったのを思い出してしまいました。無料の温泉だって、ちょっとぬるくて文句が言いたいほどでしたが、楽しむことも出来ました。「長生きしてくれたら親父を連れてきたかったのに」、などと思ったりしていました。
秋がよければ、新緑の春だって負けてはいません。『緑という色は、こんなにも多彩なのか!』と思うことしきりなのです。山道を抜けて見下ろす麓の景色は、桃の花が、まるでピンクの絨毯のように張り広げられて、満開でした。農家の方が育て上げた木が、造物者と農夫に、『ありがとう!』とでも言っているように咲き誇って、感謝しているようでした。目を見上げますと、四方の山々も、季節ごとに、その様相はちがいますが、それぞれに、何かメッセージが聞こえてきそうに感じられます。私の生まれ故郷は、何年も前に訪ねたモンタナにだって、ハワイにだって負けないほどだと、心から実感しています。
先日の「十五夜」ですが、こちらでは「中秋節」で、月餅を食べて家族で祝う祝祭日でした。知人が、この日の宴に招いてくださって、街中のレストランに参りました。美味しい料理をごちそうになって、知人に別れを告げて、バス停で待っていましたときに、そこから見上げた十五夜の月は、青みを帯びてなにか幽玄さを感じさせ、震えるほどに綺麗でした。一瞬、『どうして、ここで満月を仰ぎ見ているんだろうか?』と、一瞬不思議な感慨がして、あたりを見回しましたら、中国語の会話が聞こえてきたのです。広大な大陸から見上げる月は、仲麻呂が長安からはるかに偲んだ奈良の都の月とも、私の古里の山かげから昇って山肌に消えていく月とも趣を異にしているのでしょう。そう云えば、ごちそうになった円卓には、月餅がのっていて、頂戴しました。中村屋製を食べたことがありますが、こちらの月餅の具が、餡以外のものもあって多彩なのです。そう云えば、餡の中に、月を思わせる卵の黄身が入っていて、中国のみなさんも、満月をこうして楽しむのだと、改めて思わされたことです。
人恋しい秋ですが、いつの間にか、『静かな静かな里の秋・・・』と歌い出していました。おセンチになってしまったようで、いくつになっても、季節の変わり目の気分というのは、故郷を離れても変わることなく、よいものです(斎藤信夫作詞・海沼実作曲 )。
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります
無事や健康を祈る父は逝き、母は高齢になりました。それでも古里は記憶の中に、実に鮮明なのだと、歌いながら思ってみたりして、母の笑顔も思い出しました。
(写真は、中秋の名月、「十五夜」です)