『「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)』
近くの公園にも、散歩コースの小高い丘の上にも、この街で、市長として業績を残されたのでしょうか、亡くなられた後に、それを忘れないみなさんによって建てられた顕彰碑が置かれてあります。ノーベル賞をもらった受賞者の方が、故郷に、胸像を作ってもらって、その除幕式で、ご満悦なご本人と像との映った写真を見たこともあります。また、首相在任中に、『不条理に押し付けられた憲法の条項を改正したい!』と、その実現のために、任期中に一心不乱な方もいました。
人は、忘れられたくないので、だれかに覚えて欲しい、いつまでも自分の業績、自分たちを導いてくださった恩人を、誉めて、覚えていたいと願うからでしょうか。人はだれも、自分が死んでしまっても、忘れ去られたくないのかも知れません。だから、足跡を残し、手形を残し、像を残し、著書を残し、業績を覚えていてもらいたいのでしょう。
私たちが、もう何年も何年も、繰り返し毎朝開いているデボーションの本があります。オズワルド・チェンバース(Oswald Chambers, 1874年6月24日〜1917年11月15日)の『いと高き方のもとに(My utmost for his highest/湖浜馨牧師訳、まだ「百万人の福音」誌に連載されていた頃から読んでいました)」です。それは、この方が、書き残そうとした著作ではないのです。聖書学校で、学生たちに長年話した講義などを、夫人が速記されていて、それを編集して、43歳で召された後に、夫人によって出版されたものです。
友人牧師が紹介してくれた F.W.ロバートソン(1816年2月3日〜1853年8月15日)も、37歳で召されましたが、彼の説教で養われた、英国の Brington教会のみなさんが、その感銘的な説教を本にして著したものでした。最近、古書店から私は買い求めて、200年ほど前の牧師の説教の邦訳を読んで、大きな感銘を与えられているのです。
多くの説教者が、ご自分の学んだこと、説教されたことを、本にして出版されています。吉祥寺教会で牧会をされた竹森満佐一牧師の奥さまで、ご主人の出張された日曜日に、講壇に立たれて説教され、ご一緒に牧会をされた竹森トヨ牧師さんの説教集があります。ご主人に勝るとも劣らない名説教者で、多くの牧師さんが神学生の時代、その説教を聞かれたものを、召された後に説教集として刊行されたものです。それも私の愛読書の一つなのです。
私を導いてくださった宣教師さんも、アメリカの彼の友人牧師の教会で、何冊もの著書を出版されておられました。良い聖書教師、説教者だったから、出版を勧められたのでしょう。
少し話は変わりますが、まだ若かった頃、一緒に、同じ奉仕の道を歩んで、助言し、激励し、慰めてくれたみなさんが、一人一人と、ご自分の歩みを終えられて、主のみ許に帰っていかれました。神学校も聖書学校も出てないで、宣教師さんに8年間訓練されて、他の教会の世話で、他所に行かれた宣教師さんから、後の群れの責任を委ねられて、家内に助けられ、励まされ、注意されたりで、61まで、やっとのことで奉仕をさせていただきました。けっこう長い時間でした。
時々呼ばれて母教会で説教が終わると、『準ちゃん、今日のお話は良かったわ。ありがとう!』と言われたことが何度もありました。聖会で、集会の終わりの祈りをすると、『説教をなさった牧師さんのお話の後に、そのお話をまとめるような、準さんの祈りがとてもよかったです!』と言ってくださった姉妹もいました。
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また、『美味しいヨーグルトを作って持ってきたので食べてください!』と、母に導かれて、教会に来られて、忠実に教会に仕えておられた姉妹がいました。よその教会の特別集会に呼ばれると、『こんなお話は、これまで聞いたことがありませんでした!』と、牧師さんに言われたこともありました。大きな大会で賛美を導いて司会をしたことがあり、何年も何年も経ってから、『あなたの司会が、これまで一番よかった!』と、先輩牧師が言ってくれたのです。
マザコンだとか、甘ったれだとか、『◯◯牧師みたいに説教をして!』とか、非難ばかりが多かった自分を、そんな風に言ってくれたみなさんが、わずかにいてくださって、やっと立っていたのですが、もう今は、主のみ許に帰っていかれ、激励してくれる人はいなくなりました。このような方々を忘れられないでいますが、そう言った激励者がいなくなったこと、覚えていてくれた人がいないことに、最近思い当たって、寂しさを禁じ得ません。
憐れみと恩寵によって、生かされてきた、ただ赦された罪人の自分ですが、秋風が吹いてきたからでしょうか、朝顔の花が萎れて地に落ち、咲き終わった今、また最近では、近所の家の庭の木の枯れ葉が散って、秋風に舞っているのを目にして、枯れた葉っぱが自分のように思えて、落ち着きません。
留学中の子どもたちにも、聞いて欲しくて、読んで欲しくて、その週に語った説教を、次週の週報に載せて、まとめて彼らのいる所に送ったのです。そんな作業をくりかえしていました。また、次男に勧められて、どんなことを考え、どんなことをしてきたか、どんな夢や幻を持って生きてきたか、どんな失敗があり、どんな出会いがあったかなどを、子どもたちに伝えたくて 、けっこう赤裸々に書いてきた Blog を始めました。今の titleのBlog は、もう3000号を越えています。『あんなことまで書くんだね!』とか『あのブログ の記事、よかったよ!』とか講評してくれて、子どもたちには覚えられているのは励みです。open してますので、お読みくださる方もおいでなのです。
これだって、子どもたちには忘れないでいて欲しい、覚えて欲しい、父親の願いからのことであるのでしょう。痣(あざ)も黒子(ほくろ)も切り傷も、心の傷も、母は覚えていてくれたのですが、既に帰天してしまい、この地上には、覚えていてくれる人がいなくなっても、『このわたしはあなたを忘れない。』と言われるお方が、忘れないでいてくださるのです。これで十分だと納得の秋の宵です。
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