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海岸の防風林に、松が植えられているのを見かけたことがあります。強い海風にあたって、陸側に大きく傾いているのは印象的でした。その風に耐えるほど、松には、耐性があるのでしょうか。変形してしまっても、しっかりと根を張っている姿は、たくましさとか忍耐とか我慢を表しているのでしょうか。それは、防風林、防砂林に松が適しているからです。
人の世の中にも、世間の風、浮世の風が吹いていて、海風よりもはるかに強烈なのかも知れません。私たちを、この時代に吹き荒れる防風から、身を守ってくれる、「防風装置」は、どこにあるのでしょうか。この時代は、だんだん良くなっていくのでしょうか。それとも徐々に悪くなっていくのでしょうか。身を守る術は残されているのでしょうか。
それぞれの時代の風の強さを測るかのように、内閣府や官公庁や新聞社などがよくしている「世論調査」があります。いまの社会でも国民意識とか、世の中の動向とか、消費動向などを調べたりしています。よくみられるのは、時の内閣の支持を調べている政権調査です。国民の現政権への「期待」、「不安」、「失望」、「満足」の程度を調査してきています。今の政権は、偏向していないで、大丈夫でしょうか。
人間の集まる組織や集団には、個人の意思だけではなく、組織の意思があります。世間からの認知を受けたいからでしょうか、組織を維持するために、独自のスローガンとかマニフェスト(manifesto))を作り上げます。支持されたり、協力を得るために、世間に自分たちを知らしめたいと願うからです。ただの宣伝文句で終わってしまうことが多いのですが。
私たちは、世間の動きが分からずに、無知にならないために、世の中を、しっかりと知る必要があります。それが、正常な人の願いなのです。私が学んだ学校に、「社会調査」と言う講座があり、私はこれを興味津々で受講したのです。あんなに面白く学べた講座は、他にありませんでした。世間知らずだったから、もっと世間とか周りの社会を知るために、こういったことのできる仕事をしたいと思わせたほどでした。
江戸時代の「浮世草子」などを著した作家に、「井原西鶴」という〈世間通の人〉がいました。その作品の中に、上方の町人たちの年末の生き方を描いた「世間胸算用(せけんむなざんよう)」があります。「時」は、元禄期の年末のどん詰まりの大晦日の一日に、「場」を西の商都大阪に、「人」を巷の中下層の町人たちに設定しています。この人たちが、どう過ごして、一年を締めくくり、新しい年を迎えていくかを描いています。例えば、
巻三 小判は寐姿
「夢にも身過ぎの事をわするな」と、これ長者の言葉なり。思ふ事をかならず。
夢に見るに、うれしき事有り、悲しき時あり、さまざまの中に、銀(かね)拾ふ夢はさもしき所有り。
今の世に落とする人はなし。それぞれに命とおもふて、大事に懸(かく)る事ぞかし。いかないかな、万日廻向(ゑかう)の果てたる場にも、天満祭りの明(あく)る日も、銭が壱文落ちてなし。
兎角(とかく)我がはたらきならでは出る事なし。
江戸ではなく、西の大阪の庶民の生活を、西鶴は、生まれながらに知っていたのでしょうか、その観察眼は驚くほどのものがあるのです。決して調査をしたわけではないのでしょうけど、身の回りに起こっていること、世間に見られることへの関心、見聞には、驚くほどのものがあります。
令和の世、今や〈情報過多の時代〉に生きる私たちは、世間に煩わされることの多い時代に生きているのではないでしょうか。その情報は、偏向していて、情報操作がされていないでしょうか。自分勝手な情報の発信のできる世間で、価値観が揺れ動いて定まらない浮世で、右や左に振り動かされないで、しっかり、社会の動き、人の動機などを見極めることが必要です。
聖書に、次のようにあります。
『主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩篇139篇1~3節)
『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139篇23~24節)』
世間を知り、世間に知られるよりも、自分が何者なのかを知る方が、大切なのではないかなと思うようになりました。とてつもなく複雑な世間に押しつぶされないためです。世間は不安定で、浮動していて定まりませんが、《私を知っていてくださるお方》がいらっしゃいます。詩篇の作者は、その確信がありました。これまでの自分の人生の行程の全てをご存知の神さまがいることをです。
《神に知られている》としたら、これ以上の認知は、他になさそうです。神さまは、自分が生まれてから今まで、いえ生まれる前から知っていてくださるとしたら、こんなに頼れるお方は、他にありません。
(「山陰浜坂海岸」の松です)