私が、ほとんど毎日アクセスするブログがあります。昨日配信された記事に、「社会的貢献」のことが記されてありました。どの企業も、業績を上げていかなければなりません。社員がいて、そこには妻や子、家族があるわけです。しっかり食べさせ、冬には防寒服を着せ、雨露をしのげる住まいに住ませ、学齢期になったら子弟に教育を受けさせなければなりません。学びたいのなら高等教育も受けるようにする必要があるからです。企業の責任、企業の役員の責任は、そういった意味で、企業をさせる人々のためにも、『収益」を上げていかなければなりません。これは当然のことです。
ある人が勤めていた会社が、営業不振で、部門の縮小をせざるを得なくなりました。その部門の責任をしていた方が来られた時、『◯◯さんには、何十人もの部下がいらっしゃり、それぞれ家庭があります。彼らが路頭に迷うことがないように、再就職の世話をしてあげて下さい。それからあなた自身のことを・・・!』と、相談に答えたのです。『そうしたら、きっとあなたの再就職先が、必ず備えられますから。あなたの責任は、部下と部下の家族にあります。彼らを守ってあげ、最善の身の振り方をさせてください!』と勧めたのです。ところが彼は、ノイローゼのようになっていて、その勧めに反して、だれよりも先に退職してしまいました。親族の系列の会社に、根回しをしていたのです。
企業や上司とは、部下の全生涯にかかわらなければならないからです。子供たちが世間並みに、衣食住が備えられ、教育を受けられ、市民としての最低限度の文化的な生活を過ごせるように配慮する責務があるのです。松下電気が苦境にあった時、役員たちは従業員の「首切り(解雇)」を提案しました。ところが、社長の松下幸之助は、『今まで苦労を共にしてきた仲間を解雇することはできない。この時期を忍べばきっと業績も改善するだろう!』と考え、役員たちの勧めを拒んだのです。昔のような輝きが少なくなったのですが、この企業の輝き、繁栄は、そういった経営者の理念があったからだと思われるのです。ソニーにしても、障碍を持たれた方が働ける職場、部門を設けて、その社会的な貢献を果たしてきて、世界に冠たる企業となったのに違いありません。今、そういった儲けにならない部門、「社会的貢献」を疎かにしているのではないでしょうか。韓国などとの国際競争力が落ちたのは、技術の流失だけのことではなく、このへんにも原因があるのではないでしょうか。
「楽天」という会社があります。三木谷という方が社長で、「ネット販売」で急成長を遂げているのですが、この会社は、儲け主義ではなく、社会との共存を考えているのだそうです。ブログに、そうありました。この「執行役員」の中には、この「社会的貢献」担当がいるのだそうです。このように、《志を高く持って生きる企業人》がいるのを知って、なんともほっとさせられます。
国も、《国益》とは、国の利益ではなく、国を構成する《国民の利益》のことであって、弱者切り捨てではないのです。弱者に、手厚い施策をしてきた国は、雨の後の筍のように急成長はしなかったのですが、堅実な国家が作り上げられててきています。そうでなかった国は、いつの日にか崩壊してきています。中学の歴史で、「スパルタ」というギリシャの都市国家のことを学んだときに、身体や頭脳の能力の高い者たちだけが国家の益になり、弱者を切り捨てた国だったことを学んで、理想的な国家は、弱者救済に力を注ぐ国であることを知ったのです。全体主義国家であった、かつての日本やドイツが滅びたのは、これを蔑(ないがし)ろにしたからにほかなりません。弱者への《労(いたわ)り》こそが、国や企業を高く上げることになるのではないでしょうか。
(写真は、「品川シーサイド楽天タワー(楽天本社)」です)