不二を見て 通る人有(あり) 年の市 与謝蕪村
この夏、「スカイツリー」の展望台が、富士山をかすかに感じることができました。かつて江戸の街から、富士山が、よく見えたのでしょう。高いビルも、大気汚染の公害もない時代だったからです。「年の瀬」は、江戸の昔から、慌ただしく人が街中を行き来していたのでしょう。最近はどうなのでしょうか。あの年末の独特な雰囲気から遠ざかっていますので、『さあ、いらしゃーい!いらっしゃい!』の掛け声を聞いておりません。師が走り、主婦も学生もサラリーマンも、何かに追いかけられているように、せわしなく往来している、あの風情が懐かしく感じられます。
わが家の隣にある大型モールには、年末セールというよりは、「クリスマスセール」で、ジングルベルが建物中に流れている時季になっています。中国は、「旧暦(農暦)」の正月、「春節」を祝いますから、新暦の日本とは違って、「年の瀬」の賑わいはありません。来年は、一月三十日が、新年の始まりになっています。その時には、おじいちゃんやおばあちゃんが、孫に新しい服を買ってあげ、親は、おじいちゃんたちに服を買うのでしょう。みんなが新調の服装で、新年を迎えるのです。家族全員で、新しい年の始まりを祝い、特別な食事を共にとり、感謝し、祝福し合うのです。子どもたちは、「お年玉」をもらう習慣あり、日本と同じです。
『雅、お年玉!』と言って父からもらったことが思い出されます。ところが、自分の子供もたちに上げたことがあったのか、忘れてしまいました。我が家は、私がしていた、サイド・ビジネスで、元旦には、スーパーマーケットの床掃除をするのが恒例でした。みんなに手伝ってもらったことが、よくありました。それで、学校に行けたのですから、感謝な機会だったのです。仕事を終え、二階の休憩室のコタツに、みんなで入って、家内が持って来てくれた「おせち料理」を食べたのです。あゝ言う「団欒」のひと時は、もう二度と戻ってこないのでしょうね。でも、ああ言った経験が、子どもたちにあって、今の彼らがあるとすることで、好いのでしょう。何時でしたか、その時の店長さんが優しい方で、「福袋」を、子どもたちが貰ったことがありました。彼らは大喜びをしていました。あの頃の子どもたちの年齢に、孫たちが近づいてきています。
こちらに来るまで住んでいた街の我が家の窓からも、山越しに、「富士山」の八号目付近から頂上にかけて、晴れた日には見え ました。やはり、春夏秋冬、いつ眺めても綺麗な山でした。江戸の街は、年末の市が立って、ごった返すような賑わいだったのに、悠然として富士山を眺めている人を、蕪村は見掛けたのでしょう。世の中の流れに巻き込まれないで、泰然自若として生きている人がいたのです。その人は、蕪村自身だったのかも知れません。『おい、俳句なんか読んでる時じゃあないぞ!』という声を聞いても、馬耳東風だったのでしょうか。この余裕、よき生き様ですね!
(写真は、横浜の「みなとみらい21」の向こうに見える「富士山」です)