あすは

地方都市に生活していまして、母や兄弟がおりましたので、ちょくちょく上京する機会がありました。前の晩になりますと、必ず思い出す、いえ、口からついて出てしまう歌謡曲の一節がありました。

『#あすは東京へ出ていくからにゃ、何がなんでも・・・b』

という、坂田三吉という浪花の将棋指しの物語を歌った「王将」でした。実は、明日の朝、家内は一年半ぶりに、私は半年ぶりに帰国するのです。としますと、今晩は、『b あすは日本に帰って行くからにゃ、何がんでも・・・#』と、私は鼻歌をすることになるのでしょうか。この歌は、いつごろ流行っていたのでしょうか。もともと、「演歌」とか「艶歌」と言われる日本独特の歌は、いつごろから歌い始められたのでしょうか。昨日、「龍馬伝」の最終番組を持って、若い友人が訪ねて来られました。この番組の主人公・坂本龍馬の奔走と努力によって、第十五大将軍・徳川慶喜が、「大政奉還」の断を下すのです。そうしますと、市中の人々は、『#ええじゃないか、ええじゃないか・・・b』と歌い踊り始めるのです。明治維新誕生前夜に、日本中で流行ったという歌なのです。聞く所によりますと、龍馬と同じく土佐の人で、統幕運動に身を投じた板垣退助が、明治の維新降になってから始めた、「自由民権運動」を展開していくときに、「オッぺケペー節」という歌が一役かったようです(川上音二郎が歌ったと言われています)。また、三河地方に流行った、伝統芸能の「三河万歳」も、小太鼓を打ちながら歌うのですが、何度か聞いたことがあります。こういったものが、「艶歌」の原型になるでしょうか。

私たちが住んでいます華南の街から、南に行った地域を「闽南(ミンナン)」と呼ぶのですが、この地域は、台湾語と同じ「 闽南語」を話しますが、この地の人々が歌う歌のメロディーが、日本の「演歌」と同じなのです。日本から影響を受けたのか、もともと、そうだったのか知りませんが。きっと「五音階」のメロディーのルーツが同じなのかも知れません。そうでなくても、この街の公共バスの中に流されているFMラジオでとり上げる歌のメロディーは、日本の歌にとても似ているのです。それで区別がつかないのですが、一昨日、「スターバックス」で、人に会うために出かけたバスの中で流れていたのが、

しらかば 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
ああ北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷(ふるさと)へ 帰かな 帰ろかな

といった、遠藤実が作曲した「北国の春」でした。春の到来を待望し、やっと来た春の気配を喜ぶ、北国の「春待望」の思いが込められていて、一世を風靡した「昭和の名曲」なのです。実は、この歌を中国人は、自国製だと思っておいでなのです。日本で流行ったのが、1977年4月でしたから、にぎやかな文化運動が終わって、「改革開放政策」が鄧小平氏の指導で始まる前に、ここ中国でも歌われ始めていたようです。何の抵抗もなく、受け入れられて喜んで歌われてきて、今日の若い人もよく知っておいでです。

文化も心情も好みも趣も、こんなに似通った両国の近さは半端ではないのかも知れません。実は、この「北国の春」がラジオで流れていたあとに、聞こえてきたのは、なんと「ソーラン節」でした!中国の、春節の直前のバスの中で、『#ヤーレン、ソーラン・・・ニシン来たかと・・・b』を聞くとは思いもよりませんでした。

さあ、今晩は、『b ・・・何がんでも、無事に終わらにゃならぬ・・・#』と歌うことになるのでしょうか、そんなメロディーが喉あたりにきているのを感じます。家内の入院と手術が待つ日本ですが、桜の花の咲く頃には、元気を回復して帰って来られるように、そう願う夕靄の帳のおり始めた華南の街であります。

(写真上は、HP[筍耳鼻科医の呟き」の通天閣(三吉がこの近くに住んでいたそうです)
は、「
蕗ちゃんの道草日記」の「白樺」です)

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